1979年「アリランの唄」で歌手デビューされた白竜(はくりゅう)さんですが、その後、映画監督の崔洋一さんにスカウトされて、1984年「いつか誰かが殺される」で映画デビューされると、1989年には、映画「その男、凶暴につき」で冷徹な殺し屋を演じ、たちまち注目の的に。以降、アウトローな役でオファーが殺到し、Vシネマを中心に数多くの映画やドラマに出演されています。


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身長は?本名は?芸名の由来は?

白竜さんは、1952年10月3日生まれ、
佐賀県伊万里市のご出身、

身長178センチ、
体重68キロ、

血液型はO型、

学歴は、
佐賀県立有田工業高等学校卒業、

本名(戸籍名)は、
田貞一(チョン・ジョンイル(でん・ていいち))、
(在日韓国人2世)

芸名「白竜」の由来は、朝鮮民族の美の象徴である「白」と、
辰年生まれであることから付けられたそうです。

少年時代

白竜さんは、中学生の時は剣道部に所属しており、
もともと、俳優になろうと思っていた訳ではなかったのですが、

担任の先生が演劇部の顧問だったことから、
中1、中2と、演劇部に引っ張られて、
2年間、お芝居をさせられていたそうで、

演劇には全く興味がなかったにも関わらず、
渋々やっていたそうです。

ちなみに、白竜さんは、当時を振り返り、

全然俺の中には意識はなかったんですけどね。
ぼんやりとはそう思ってたのかもしれないですね。

と、もしかしたら、潜在的には、そのときから、
俳優業に向いていたのかもしれないことを示唆されています。

ミュージシャンを目指し上京

そんな白竜さんは、中学卒業後は、
お父さんに、手に職をつけることを勧められ、
工業高校に進学するのですが、

高校では、剣道、バンド活動、バイク、
に明け暮れる日々だったそうで、

ちょうどその頃ブームとなっていた、
ビートルズ」「ローリング・ストーンズ」や、

「卒業」「いちご白書」「ウッドストック」
などのアメリカンシネマを観て感化され、
高校卒業後は、ミュージシャンを目指し上京。

上京後は、就職しながら、
タレント養成所に通われたこともあったそうですが、

会社が営利目的過ぎて嫌気がさし、
すぐに辞められたそうです。

「白竜バンド」結成~「アリランの唄」でデビュー

その後、白竜さんは、実家に戻られると、
1978年には、ご家族で「白竜バンド」を結成。

翌年の1979年には、
「アリランの唄」で歌手デビューし、
九州からツアーにも回られます。

「アリランの唄」

ただ、実家の家業との両立が難しく、
バンドは一年ほどで解散。

そこで、白竜さんは、2足のわらじではなく、
音楽一本に絞ろうと決意されると、

今度は、ミュージシャンとバンドを組もうと、
再び上京し、音楽活動に取り組まれ、

1981年には、
アルバム「光州シティー」
シングル「鳳仙花/熱く生きろ」
アルバム「Asian」



を、リリースされています。

(レコーディングには、
 小室哲哉さんがキーボードで参加されていたとか)

映画「いつか誰かが殺される」で俳優デビュー

こうして、音楽活動に取り組まれていた白竜さんですが、
映画監督の崔洋一(さい よういち)さんと知り合われると、

30歳の初め頃、崔さんからいきなり、

「今度映画撮るから出て」

と、言われたそうで、

1984年には、崔さんの作品、
「いつか誰かが殺される」で映画デビュー。

「いつか誰かが殺される」より。白竜さん(左から2人目)と、
渡辺典子さん(左端)、古尾谷雅人さん(右端)。

白竜さんは、俳優にスカウトされたことについて、

なんでしょうね(笑)。
でもミュージシャンって、結局、
舞台の上で虚像を演じているわけでしょ。

それに大体がステージ上は少人数なので、ひとりひとりが、
ものすごいパフォーマンスをしなくてはいけないわけですよ。

だから監督連中とかよく言いますよね、
「ミュージシャンほど存在感のある奴らはいないって」
まあ、逆にミュージシャンを使わない監督もいますけど。

と、おっしゃっています。

「その男、凶暴につき」で注目を浴びる

そして、1989年、白竜さんは、
北野武監督の映画「その男、凶暴につき」で、
凶暴な刑事、我妻諒介(北野さん)と対峙する、
殺し屋の清弘役を演じると、一躍注目を集め、

以降、アウトローなコワモテ役が次々と舞い込み、
Vシネマを中心に数多く出演。

全盛期には、1本あたり2週間の撮影で700万円、
という高額なギャラを受けとられるようになったのでした。
(人気シリーズになると、それを20本以上、撮影していたそうです)

ちなみに、北野武監督の映画「その男、凶暴につき」では、
当初、警察署長役のオファーだったそうですが、

白竜さんが受けられていた、あるオーディションの会場の近くを、
たまたま、北野さんが通りかかったため、

コートにリーゼント姿という、
オーディションの出で立ちのままで挨拶に行ったところ、
北野さんにジーッと見られ、

オーディション中というまずいタイミングで、
挨拶に行ってしまったことを反省し、
すぐにその場を立ち去ったそうですが、

翌日、マネージャからの電話で、急遽、
役が殺し屋の清弘役に変わったことを告げられたそうで、

北野さんは、そのいかつい出で立ちから、
早々に白竜さんの適性を見出されたのでしょうね。

「その男、凶暴につき」より。(左から)芦川誠さん、
ビートたけしさん、白竜さん。

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「アウトレイジ」にも出演

ちなみに、白竜さんは、その後も、

1997年「HANA-BI」
2012年「アウトレイジ ビヨンド」
2017年「アウトレイジ 最終章」

と、北野監督の作品に起用されているのですが、

実は、「アウトレイジ」シリーズでは、
北野作品の常連俳優は一切登場していないなか、
白竜さんだけ、例外的に出演されており、

白竜さんは、そのことについて、

現場で感じたんですが、今までの北野映画の演出と、
「アウトレイジ」シリーズでの演出は、
かなり変わってきてると思いますよ。

でも、俺の出演シーンは相変わらずでしたね。
あるシーンで、「今のセリフ、俺、ちょっと呂律が回ってなかったかも」
と聞いたんです。

でも、監督は「いい、いい。大丈夫」と、そのままOKでしたね。
俺への演出は「その男、凶暴につき」から23年たっても、
変わらないんだなと思いました。

と、おっしゃっていましたが、

北野監督にとって、白竜さんは、
どうしても必要な存在なのかもしれませんね。

「アウトレイジ 最終章」より。金田時男さんと白竜さん。

さて、いかがでしたでしょうか?

すっかり、Vシネマの帝王となった白竜さんですが、
音楽活動も地道に続けてこられており、

近年は、再び、ライブ活動を行うなど、
本格的に音楽活動に取り組まれているようで、

白竜さんは、

やっぱり音楽と役者のバランスだよね。
事務所も(2017年)4月1日から新しく始まって。

20年こういう仕事やってきて、
自分にとっての新しい転換の時期来てるなって思うんですよ。

役者の部分もね、ちょっとなんか欲も出てきてるしね、
今、映像がね日本でワンパターン化してるから、
例えばスリラーっぽいのばっかりとかね。

ほんとオーソドックスで、
エンターテナー的なことをやってみたいと思うんです。
今、ヒーローっていうのがいないでしょ。

僕の時代の高倉健さんみたいな。
難しい映画ってたくさんあるけど、生きざまとか、
男のカッコよさを単純に撮ることとかも僕は重要だと思うからね、
そういう映画撮っていきたいですよね。まだまだがんばりますよ。

と、おっしゃっていました。

今後も、白竜さんからは、
まだまだ目が離せそうにありません!!

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