「欲しがりません勝つまでは」「富国強兵」などと書かれた玉砕スーツに身を包み、軍国調の演説で放送禁止用語を連発して、若い世代を中心にカリスマ的な人気を誇った、鳥肌実(とりはだ みのる)さん。演説は過激するためテレビでは放映されませんが、樺太から尖閣諸島まで日本全国ツアーを展開するほどの人気を博しました。
本名は?出身は?年齢は?
鳥肌さんは、1964年生まれ、
兵庫県西宮市出身、
本名は、
田中実(たなか みのる)、
学歴は、
大阪学院大学卒業、
事務所は、
「ことり事務所」(個人事務所)、
ちなみに、過去には、吉本興業に所属されていたことがあるそうです。
自己紹介(廃人演説)が面白すぎる
まずは、鳥肌さんの自己紹介(キャラクター設定上のプロフィール)が面白すぎるので、ご紹介します。
年齢は42歳(万年厄年)、
出身地は樺太、
血液型はO型、
モッズ系猛禽類、
自称、鳥の調教師、
山崎パン高井戸工場勤務(サンドイッチ班・班長、ピクルス担当)で、
朝8時から翌朝の8時まで勤務するかたわら、
休憩時間にアムウェイの勧誘を欠かさず行っている、
パン工場のアメリカンフットボール部のキャプテン、
日本共産党員、
月に1度の休日には創価学会員と激しく殴り合う、
公団に在住、
好きなアーティストは、黒夢、
だそうです♪
少年時代はレベッカに憧れバンド結成?
鳥肌さんは、少年時代、ロックバンド「レベッカ」の影響を受け、ドラムとヴォーカルでバンドを結成されたそうで(鳥肌さんは、ヴォーカルを担当)、「レベッカ」の「フレンズ」という曲をコピーしたそうですが、
まったく音符が読めず、リズムも音程も取れなかったことから、
練習の最中に、ドラムの人に、
「お前とはやってられないんだよ」
と、殴られ、音楽を断念されたそうです。
(ただ、どうしてもミュージシャンの夢が捨てきれず、1999年には、「鳥肌黙示録」でCDデビューされています。)
「オウム地下鉄サリン事件」がきっかけ
やがて、鳥肌さんは、サラリーマンになるのですが、1994年、30歳の時に、ピン芸人として活動をスタートすると、当時は一人芝居に近いスタイルで、数々のお笑いライブに出場。
1995年には、「オウム地下鉄サリン事件」で、オウムの南青山総本部の前に集結した報道陣に対し、カメラの目の前で、
お前らマスコミの腐れインケツウジ虫どもが!
お願いします、私を何とかテレビに出してください。
と言い、その場で「日の丸玉砕ダンス」を踊られます。
ただ、当然のごとく、鳥肌さんは機動隊に取り押さえられ、一切オンエアされることはなかったそうで、
鳥肌さんは、その当時を振り返り、
その時に何とも言えない世の中に対するストレスを感じ、やっぱりこれは訴えていかなければならないな、と決意した訳です。しかし、正直訴えたいものが何もなかった。
せめてメッセージのない演説家として街頭に立つために、国粋主義を全面に押し出し、マイケル・ジャクソンの「ビート・イット」で踊るという、スタイルが確立されていった訳です。これが原宿の街で非常に注目を浴びました。
と、語っておられます。
及川光博似のなかなかのイケメンです。
愛車は霊柩車?
ところで、鳥肌さんの愛車は、霊柩車だそうです。
鳥肌さんは、ライブ中に、
「自家用車に霊柩車を買いました」
と、おっしゃっていたそうで、
自家用車として霊柩車を300万円で購入されたそうですが、中古なため、アンモニア臭がするとのこと。
また、霊柩車のほかに、街宣車も、自家用車として所有されているとのことですが、相変わらず、ネタなのか本気なのか分かりませんでした(笑)
「鳥肌実の現在は本当に右翼に?昔からの出演ドラマ映画を画像で!」に続く