1978年、細野晴臣さんのソロアルバム「はらいそ」の収録に参加された、坂本龍一(さかもと りゅういち)さんですが、この時、細野さんに誘われて、高橋幸宏さんと3人で「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」を結成すると、「YMO」は爆発的な人気を博し、坂本さんは一躍トップアーティストとなります。
「坂本龍一の若い頃は?細野晴臣と高橋幸宏との出会いは?」からの続き
細野晴臣、高橋幸宏と「YMO」結成
1978年2月、細野晴臣さんのソロアルバム「はらいそ」の収録に参加された坂本さんは、同じく収録に参加されていた高橋幸宏さんと、この時、初めて顔を合わせるのですが、
後日、新しいバンドの構想を温めていた細野さんに、高橋さんとともにこのバンドへと誘われると、これまでバンドをやったことがなかったことから不安を抱えながらも、賛同。
一方、高橋さんも、ほかのバンドで苦労していたこともあり、二つ返事でOKされ、「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」が結成されます。
アルバム「千のナイフ」でソロデビュー
すると、坂本さんは、「YMO」に先駆け、同年10月、電子音楽を駆使した実験的なソロアルバム「千のナイフ」をリリースしてソロデビューし、
(ただ、初回プレス400枚のうち200枚が返品されるなど、当時は見向きもされなかったようです)
同年11月25日には、「YMO」として、坂本さんの「千のナイフ」の制作手法を取り入れた、デビューアルバム「イエロー・マジック・オーケストラ」を「アルファレコード」よりリリース。
すると、「アルファレコード」は、アメリカの「A&Mレコード」と業務提携していたため、たちまち海外で人気に火がつき、その後、国内でも、テクノブームを巻き起こし、
一躍、「YMO」はトップアーティストの座に昇り詰めたのでした。
「YMO」散開(解散)~その理由とは?
しかし、そんな人気とは裏腹に、テレビに出演したことで、顔が知られて外を歩けなくなったこと、人目にさらされ続けたこと、多忙などが重なって、ストレスで心身ともに参ってしまい、
音楽的には、試みをやり遂げたという実感もあったことから、早くも、1983年、「YMO」は「散開(解散)」となったのでした。
「坂本龍一の「戦メリ」も「ラストエンペラー」も当初は俳優オファーだけだった!」に続く
https://www.youtube.com/watch?v=hzSIwivBWJc
1979年のYMOライブより。東風。坂本さん27歳、細野晴臣さん32歳、高橋幸宏さん27歳、渡辺香津美さん25歳、矢野顕子さん24歳、松武秀樹さん27歳。みなカッコ良すぎます。