左腕の大けが、失明の危機、金を巻きあげられての離婚、多額の借金と、波乱万丈の人生を歩んでこられた島倉千代子(しまくら ちよこ)ですが、そんな人生の悲哀が歌声に反映されてか、歌手としては順調に活動を続けられ、1987年には、49歳となってもミリオンセラーを記録されています。
「島倉千代子が16億円借金地獄!細木数子に搾取されていた!」からの続き
山田邦子やコロッケのモノマネで「人生いろいろ」が大ヒット
こうして、散々だった島倉さんですが、仕事の方はというと、衰え知らずの人気で、
NHK紅白歌合戦には、1957~1986年まで、史上初の30年連続出場を果たし、
(自ら紅白出場勇退を宣言して記録はストップ)
その翌年の1987年4月(49歳)発売の「人生いろいろ」は、
1988年にかけて130万枚を売り上げる大ヒットを記録。
「人生いろいろ」
実は、バラエティー番組「オレたちひょうきん族」の、
「ひょうきんベストテン」というコーナーで、山田邦子さんが、
島倉さんの「人生いろいろ」をモノマネをされ、
コロッケさんも、同時期に、
この曲で島倉さんのモノマネをされたことで、
それまで演歌に興味がなかった若い世代にも受け、
徐々にオリコンチャートや有線で上昇。大ヒットとなったのでした。
コロッケさんと島倉さん。
ちなみに、島倉さんは、「100万枚記念パーティー」に、
山田さんとコロッケさんを招待し、目の前でお二人のモノマネを聞かれると、
山田邦子さんとコロッケさんのお陰で、
「人生いろいろ」が若い方にも親しまれるようになり、光栄です。
と、感謝の気持ちを表わされ、
お二人には、後に、島倉さんが特に大切にしていた、
とても高価な着物を贈呈されたそうです。
姉の自殺、乳がん、再び借金
しかし・・・
1988年には、
姉の敏子さんが東京・目黒川で投身自殺。
1993年には、島倉さん自身が、初期の「乳がん」であることが判明し、
手術は無事に成功するも、手術後の治療で行った放射線療法の副作用で、
一時期、声が出なくなってしまい、
2007年には、事務所のスタッフに資産を奪われて、
再び多額の借金を背負い・・・
と、相変わらず、仕事以外では不運続き。
死因は?最後の歌は?
そして、2010年には、「肝臓がん」であることが判明し、
3度の肝動脈塞栓術を受けられるも、2013年前半には「肝硬変」を併発。
(ただ、このことはごく少数の関係者にしか打ち明けていなかったそうです)
そのため、同年5月からは仕事をセーブされるのですが、
6月21日には宮崎県延岡市で開催したコンサートで復帰されると、
この頃、島倉さんは、死を覚悟していたようで、
通夜は密葬とし、香典は断るよう、スタッフに伝えていたものの、
2014年のデビュー60周年に向けて復帰の意欲は衰えず、
2013年10月中旬に一時退院した後、11月5日には、
自宅で、記念曲「からたちの小径」を録音。
当初、録音は、11月15日に行う予定だったのですが、
その日まで待てない
と、島倉さん自身が関係者に連絡を入れて、
急遽、11月5日に吹き込みが行われたそうで、
翌日の11月6日、所属レコード会社「日本コロムビア」の女性スタッフに、
体調が悪いので来てほしい
と、自宅から電話され、再入院されると、
一進一退を繰り返して、11月8日、容態が急変。
女性スタッフに見守られながら、眠るように息を引き取られたのでした。
ちなみに、同曲の作曲をし、
レコーディングにも立ち会った、南こうせつさんは、
(島倉さんの具合から)1回位しか歌えないかと思ったが、
3回も歌われた。奇跡の歌声だった。
と語っておられました。
さて、怒涛のような人生の荒波の中、最後まで、
私は人を騙すより、騙された方がいいの
と、人を信じ続けた島倉さん。
生前は、産むことができなかった3人の子どもに、
「忍」と名付けて、小さな水子地蔵をいつも持ち歩き、
これからは母さん、いつも一緒よ。
母さんの子でよかったと思ってもらえるように頑張るわ。
と、地蔵に語りかけては自身を鼓舞していたそうですが、
今は、ただただ、安らかに眠ってほしいですね。
島倉さんのご冥福をお祈り致します。
「島倉千代子の若い頃は?幼少期に大怪我!この世の花!美空ひばりの?」