大学中退後の1968年、ファーストシングル「水色の風/愛の世界」で歌手デビューされるも、鳴かず飛ばずだった、篠ひろ子(しの ひろこ)さんですが、1972年、女優に転身されると、たちまち女優としての才能を発揮します。
年齢は?出身は?身長は?本名は?
篠さんは、1948年3月8日生まれ、
宮城県仙台市のご出身、
身長167センチ、
血液型はO型、
本名は、西山 博子(にしやま ひろこ)、
(旧姓・沼澤(ぬまさわ))
旧芸名は、篠ヒロコ、
学歴は、
聖ウルスラ学院小学校・中学校
⇒聖ウルスラ学院高等学校
⇒東北学院大学法学部中退
お兄さんには、プロゴルファーの沼澤聖一さん、弟さんには、ゴルフクラブ設計家の沼澤雄二さんがいらっしゃいます。(篠さんは三男二女の長女)
ちなみに、篠さんは、幼い頃からキリスト教(カトリック系)を信仰されていて、洗礼名が「小さき花のテレジア(日本語訳)」だそうですが、
成人した今では、洗礼名に反して長身(167cm)なのでちょっと恥ずかしい
と、以前、雑誌のインタビューで語っておられました。
若い頃は歌手活動するも鳴かず飛ばず
篠さんは、お父さんが電機会社の役員という裕福な家庭で生まれ育ち、兄弟ともども、ゴルフをする機会が多かったそうで、
大学2年生の時、ゴルフ練習場でスカウトされると、東北放送テレビ「ホリデイ・イン・仙台」のアシスタントとしてデビュー。
1968年、20歳の時には、同番組の中で歌を歌うところを見ていた、「クラウンレコード」からスカウトされ、大学を中退して上京すると、
(篠さんは、子どもの頃、「NHK仙台少年少女合唱隊」に在籍していました)
作曲家のいずみたくさんの自宅に居候しながら、歌のレッスンを受け、同年には、「篠ヒロコ」名義で、ファーストシングル「水色の風/愛の世界」でレコードデビューを果たされるのですが、全く売れず。
「水色の風/愛の世界」
翌年の1970年には、早くも「キングレコード」に移籍し、
1970年「悪い遊び/ふり返って」
「幸せな絵のように/危険な恋」
1971年「最後の晩餐/二人ぐらし」
「私あぶないの/華麗なる週末」
「ベッドで煙草を吸わないで/泣きながら生きてきたから」
1972年「小さな恋/私ひとり」
1974年「霧雨の人/あのころ」(ビクター)
と、シングルをリリースされたのですが、いずれもヒットとはなりませんでした。
テレビドラマ「時間ですよ」で注目を集める
こうして、篠さんは、歌手活動が思わしくなかったことから、1972年には、テレビドラマ「股旅USA」で女優デビュー。
翌年の1973年には、テレビドラマ「時間ですよ」で、小料理屋「おかめ」の女将お涼さん(田村涼子)役に起用されると、
「時間ですよ」で女将お涼さんに扮する篠さん。
常連客だった元やくざ、風間(藤竜也さん)の舎弟と心中するも生き残ってしまい、暗い過去を背負いながらも、耐え忍んで生きる女性を妖艶に演じ、たちまち、注目を集めたのでした。
(1987年には、同シリーズ「時間ですよ ふたたび」にも出演されていますが、この時は「松ノ湯」の主人公ウメ(森光子さん)の長女で、結婚して家を出たものの、姑と合わず実家に帰って来る、という役どころでした。)
「時間ですよ ふたたび」より。(左から)石橋貴明さん、
地井武男さん、河合美智子さん、森光子さん、木梨憲武さん、篠さん。
「金曜日の妻たちへパートII」「毎度おさわがせします」
以降、長らく、この「ただ静かに耐え忍んで生きる女性」路線が続くのですが、1984年、テレビドラマ「金曜日の妻たちへパートII」でクラブ歌手となる主婦役を好演すると、
東京郊外の新興住宅地に暮らす30代から40代前半の夫婦の交流と、そこで起きる不倫を描いたこのドラマは、主婦、OL、女子大学生など、幅広い年齢層の女性に受けて大ヒットを記録。
「金曜日の妻たちへパートII」より。田中好子さんと篠さん。
特に、
放送日の金曜日夜10時には、主婦が電話に出ない
と、いわれるほどの大ヒットから、篠さんも、一躍人気を博すと、
1985年には、性へ興味津々な思春期の子供を持つ家族を、コミカルかつシリアスに描いたテレビドラマ「毎度おさわがせします」で、子どもに振り回される母親役をコミカルに演じ、新境地も開拓されたのでした。
「毎度おさわがせします」より。篠さんと小野寺昭さん。
「篠ひろ子の現在は?旦那は伊集院静!子供は?甥は?出演ドラマ映画は?」に続く