お姉さんを助けるだけのつもりが、あれよあれよとトップアイドルにまで上り詰めた、麻丘めぐみ(あさおか めぐみ)さん。しかし、人気絶頂のなか、舞台出演中の事故で大怪我に遭うと・・・

「麻丘めぐみの若い頃がかわいい!芽生え&左利きヒットで髪型が大流行!」からの続き

Sponsored Link

舞台落下事件をきっかけに・・・

1973年、「わたしの彼は左きき」の大ヒットで、一躍トップアイドルの仲間入りを果たした麻丘さんは、その後、毎日のように歌番組に出演しては、週末は地方のコンサートに出演と、(当時の記憶がないほど)とにかく忙しく、フル稼働の日々を送っていたのですが、

そんな中、1974年3月31日、「日劇ワンマンショー」の第一部に出演中、舞台上の階段セットから転落し、なんと、3メートル下の硬い床に叩きつけられてしまいます。


救急隊員に運ばれる麻丘さん。

それで、すぐ、救急車が呼ばれて、麻丘さんは病院に搬送され、レントゲンを撮るのですが、肘が曲がっていてうまく映らなかったそうで、

やむを得ず、医師にむりやり肘を伸ばされ、絶叫しつつ、ようやく撮れたレントゲン写真を見ると、左肘が折れて、小豆くらいの大きさの尖った骨が筋肉に突き刺さった「剥離(はくり)骨折」の状態と判明したのでした。

そして、この事故により、この日行われる予定だった3公演のうちの第2部は中止となったのですが、

なんと、麻丘さんは、

日劇に帰る。車椅子に乗ってでもいいから、歌いたい。

と、夕方から始まる第3部の公演には出たいと、繰り返し、事務所の社長に言われたそうで、医師もやむなく、

激しく動いたりせず、腕を固定したままなら、歌ってもかまわないでしょう。

と許可。

こうして、麻丘さんは、激痛のなか、第3部をまっとうしたのでした。

そして、なんと、翌朝も、

死んでもいいから、舞台に立ちたい。

と、医師が舞台袖に同行のもと、その日の第1部の舞台に立たれたのですが、骨折は、直後よりも、2日目、3日目の方が痛みはきついもの。

さすがの麻丘さんも、第1部の舞台後は、顔面蒼白。痛み止めの注射を打つも、その後、眠りにつくと、呼吸困難になって顔色はドス黒くなり、ついには意識不明に。

こうして、「日劇ワンマンショー」は、4日間全11公演行われる予定が、4公演で中止となり、麻丘さんは入院するのですが、

当初、全治40日と思われていたケガは、実は、肋骨が2本骨折していることも判明。無理もたたったのか、結局、5ヶ月間もの休養を要したのでした。

すると、寝たきりとなった麻丘さんには、再起不能との噂が囁かれるように・・・

しかし、ケガがや心ない噂話より、麻丘さんを辛くしたのは、麻丘さんの歌手としての商品価値に見切りをつけて、手のひらを返したような態度を取り、去っていく人が大勢いたことだったそうで、麻丘さんは、この時、初めて「仕事をやめたい」と思ったのでした。

そして、5ヶ月間の治療と休養の末、ようやくケガから回復すると、お世話になった人のことを考えて、芸能界に復帰されるものの、周囲の敷いたレールに乗って進められる仕事に疑問を持つようになっていったのでした。


なんと、救急車で病院に運び込まれた当日の夕方に会場に戻り、激痛をこらえて車椅子で歌われた麻丘さん。

旦那との馴れ初めは?

そんな麻丘さんは、1977年2月、21歳の時、フジテレビのディレクターだった渡邉光男さんと、「スターどっきりマル秘報告」の山形ロケで知り合うと、渡辺さんのことを、「仕事を一生懸命やる人だなあ」と好感を持ったそうで、同年3月半ばには、六本木で待ち合わせをして、映画と食事に行くことに。

すると、麻丘さんは、男性と一緒に映画を観ることは初めてだったこともあり、男らしく歩く渡邉さんの後ろ姿を見ながら、「結婚するんじゃないか」と予感したそうで、その予感は見事的中。以降、交際は順調に進み、4月末には、渡邉さんからプロポーズを受けたのでした。


渡邉光男さん

そして、麻丘さんは、6月27日に会見を開くと、

平凡が好きでしたから、タレントをやめてもやっていけると思います

と、結婚&芸能界引退を宣言。

実は、この頃、お姉さんが結婚し妊娠されたそうで、そのことも、芸能界引退を後押しをしたようで、

女の幸せってやっぱり結婚して子供をつくることだなって思いますね。仕事を続けていくことも幸せでしょうけど、ずっと第一線でいられるのは普通の人じゃなかなかできないんですよね。

と、おっしゃったのでした。

結婚し専業主婦を満喫するも・・・

こうして、1977年9月、周囲の反対を押し切って渡邉さんと結婚された麻丘さんは、同時に芸能界も引退されると、

仕事をしなくてもよい開放感でいっぱいになり、1日をすべて自分と家族のために使える専業主婦の生活が楽しく仕方なかったそうで、

同時期に芸能界を引退した友人たち(おそらく南沙織さんと浅田美代子さん)と一緒にスーパーにお買い物に行ったり、夕食会を開くなど、さまざまな初体験に心が躍る、専業主婦の毎日を満喫。

そして、1979年には、女の子が誕生するなど幸せいっぱいの日々だったのですが・・・

Sponsored Link

離婚原因は旦那の浮気?

1983年2月には、渡邉さんから切り出す形で、離婚。

離婚の原因については、当時、大きな番組をいくつも抱え、売れっ子ディレクターだった渡邉さんの浮気で、それも一度や二度ではなかった、と言われているのですが、

麻丘さんは、

離婚の原因として直接的なものはありません。結婚してから6年間の積み重ねで、私が至らなかったということです。

と、渡辺さんの女性問題の噂をきっぱりと否定。

こうして麻丘さんは、離婚と同時に、映画「この子を残して」への出演で芸能界に復帰されると、「もう過去は振り返らない」との決意のもと、男性誌「週刊プレイボーイ」で初のセミヌードを披露するなど、積極的に芸能活動を再開したのでした。

(ただ、このセミヌードは中途半端感が否めず、それほど評価は高くなかったようです)

「麻丘めぐみの娘が可愛い!西城秀樹と?現在は?再婚は?」に続く

Sponsored Link