1990年代、一世を風靡した歌手・宇多田ヒカルさんのお父さんである、宇多田照實(うただ てるざね)さん。謎に包まれた宇多田さんについて、調べてみました。
年齢は?出身は?山口県?
宇多田さんは、1948年7月21日生まれ、
東京都中野区のご出身(父親は山口県出身)、
学歴は、
東京都新宿区立落合中学校?
⇒??高校入学も16歳で渡米
ちなみに、妻・藤圭子さんとの娘は、あの宇多田ヒカルさんです。
経歴は?藤圭子と結婚
宇多田さんは、お父さんがニューヨークで日本人向けの新聞を発行する会社を営んでいたことから、16歳で渡米されると、その後は、現地で音楽コーディネーターとして活動。
その後、歌手の藤圭子さんと知り合われると(藤さんは1979年に芸能界を引退し、渡米されていました)、1982年には藤さんと結婚し、翌1983年には娘の宇多田ヒカルさんが誕生します。
藤圭子さんと宇多田さん。
そして、ヒカルさんが7歳になった頃、奥さんの藤さんが、娘のヒカルさんにR&Bのリズムを叩き込み、家族3人で世界を目指そうと、一家でニューヨーク移住することに。
しかし、それは、決して楽な生活ではなく、ニューヨークでの生活資金が底をつけば帰国し、家族3人で愛車の「ミニ」に乗って日本各地を巡り、資金が調達できると、またニューヨークに戻るという生活で、
藤さんは、当時、ヒット曲もなく、人気は低迷していたのですが、過去のヒット曲と抜群の知名度から、地方公演をすると多くのお客さんが集まったため、宇多田さんは、そんな藤さんのマネージャーを務められたのでした。
家族3ショット。(左から)ヒカルさん、藤さん、照實さん。
娘の宇多田ヒカルが大ブレイク
そして、1993年、宇多田さんは、藤さんとともに「U3ミュージック」を設立すると、藤さんがヒカルさんに歌を教え、宇多田さんがプロデュースする形で、
1998年12月、ヒカルさんがファーストシングル「Automatic」でデビューすると、まだ15歳の少女の圧倒的な歌唱力が大きな話題となり、なんと、200万枚を超える大ヒットを記録。
「Automatic」
翌年の1999年にリリースしたファースト・アルバム「First Love」は、国内外で1000万枚近くを売り上げ、ヒカルさんは、一躍トップアーティストの仲間入りを果たされたのでした。
First Love -15th Anniversary Deluxe Edition- (完全生産限定盤)(DVD付)
結婚歴6回(離婚歴7回)
しかし、次第に、宇多田さんと藤さんは、ヒカルさんのプロデュース方針の違いで、激しい口論を繰り返すようになると、移動の車もこれまでの愛車「ミニ」ではなく、いつしか3人とも別々の車に乗るようになり、ついに離婚。
ただ、その後は、復縁と離婚を6回も繰り返されていたのですが・・・(そのうちの何回かは、宇多田さんが勝手に籍を入れたこともあったとか)
藤さんが、2006年、現金5000万円をバッグに入れて持ち歩いているところを、ニューヨークのJFK空港での荷物検査でひっかかり、お金を没収されると、以降は、夫婦の絆もぷっつり切れてしまったかのように2007年に離婚した後、再婚されることはありませんでした。
実はこの頃、藤さんは、精神が非常に不安定になっており、宇多田さんは、藤さんから昼夜問わず電話がかかってきては、身に覚えのないことで理不尽な罵声を浴びせられていたそうで、
宇多田さんは、そんな藤さんを心配はしていたものの、藤さんの被害妄想がひどく、とても一緒にいられる状態ではなかったため、もともと藤さんのマネージャーをしていた男性にお願いをして、藤さんの行動の監視役兼話し相手として、藤さんと同居してもらうようにされたのでした。
元妻の藤圭子が自殺
しかし、宇多田さんの心配は的中。
2013年、藤さんは、元マネージャーの男性と住むマンションの13階から自ら身を投げ、亡くなってしまいます。
通夜、葬儀に関しては、故人の遺言書に書かれていた本人の強い意志に従って執り行われず、そのことについて激しい批判もあったそうですが、それでも宇多田さんが藤さんの意志を尊重したのは、それだけ、藤さんとの絆が深かった証でしょう。
さて、いかがでしたでしょうか。
自身では、ドラムやギターがひけるマルチミュージシャンと名乗り、ベトナム戦争に参加された経験も口にされている宇多田さんですが、実際のところは、藤圭子さんのマネージャーをされる前のことは、客観的に明らかになっておらず、謎だらけの宇多田さん。
2010年9月からはTwitterを開始し、ヒカルさんのファンと積極的に交流を続けておられるとのことですが・・・そんな謎な宇多田さんからは今後も目が離せません!!