少年向け漫画から青年・大人向け漫画まで、数多くの作品を世に送り出してきた、日本漫画界の先駆け的存在である、藤子不二雄Aこと安孫子素雄(あびこ もとお)さん。今回は、そんな安孫子さんの気になるプラベートについて調べてみました。
「藤子不二雄aの魔太郎がエグい!黒ィせぇるすまん!ブラック商会も!」
自宅は?
安孫子さんのお住まいですが、漫画家を目指して上京された当初は、トキワ荘の4畳一間の部屋に、相棒の藤本弘(後の藤子・F・不二雄)さんと一緒に住まれていたのですが、漫画家になって6~7年たち、独り立ちできるようになると、トキワ荘を出られます。
トキワ荘
そして、同じ頃、お父さんを亡くしたこともあり、長男だった安孫子さんは、お母さんを呼んで一緒に暮らしたいとの気持ちがあったそうで、神奈川県川崎市多摩区生田に一軒家を建てられると、その後、現在までここに住まれています。
我孫子さんの自宅(3軒左隣には藤本弘(藤子・F・不二雄)さんの自宅があります♪)
妻は?子どもは?
そんな安孫子さんは、1966年、(「オバケのQ太郎」がヒットして、売れっ子の漫画家として世に出始めた頃)静岡の会社社長令嬢だった、2歳年下の和代さんと結婚されています。
当時の我孫子さん(右)と妻の和代さん(左)
お二人の馴れ初めなど、詳しいことは分かりませんでしたが、社交的だった安孫子さんは、いろいろなパーティに顔を出されていたそうなので、そんな中で出会われたのかもしれませんね。
ちなみに、お子さんはいらっしゃらないようです。
愛妻弁当(精進料理)を50年間
ところで、安孫子さんは、お寺で生まれ育ったためか、動物性タンパク質は体が受け付けず、精進料理しか食べられなかったそうですが、
我孫子さんの実家である光禅寺
仕事で徹夜続きは当たり前、早く終えた日でさえも、銀座界隈で飲み歩き、仮眠だけとって、また机に向かうという超ハードな生活を送られていたことから、
奥さんは、安孫子さんの健康を心配し、偏食を治そうと、毎朝、お魚やお肉を入れたお弁当を作られたそうですが、安孫子さんには、どうしてもそれが無理だったそうです(体が受けつけなかったそうです)。
そこで、奥さんは、安孫子さんのお母さんから、「タケノコのみそ煮」や「大根の葉を茹でて味噌で煎ったよごし」など、安孫子さんの好物の精進料理(肉・魚一切なし)を一生懸命習われたそうで、
以降、限られた食材で、飽きないように工夫しながら、毎日、精進料理のお弁当を持たせてくれるようになったのだそうです。
(ちなみに、安孫子さんは、駆け出しの頃、手塚治虫さんに「うな重」をごちそうになったそうですが、一口食べただけで鼻血を出してしまったことがあったそうで、それほど、肉・魚は受け付けなかったそうです。)
妻が脳出血で左手麻痺も、右手だけで弁当作り
ところが、1985年の大晦日、突然、奥さんが台所で倒れられると、一命は取り留めたものの、病院で検査すると、「脳出血」と診断され、左半身は麻痺、一時は言葉も発せなくなるほどの状態になってしまったそうで、その後は、入退院の繰り返し。
その後、治療とリハビリでかなり回復されたものの、左手は動かないままとなってしまったのでした。
それでも、奥さんは、右手一本だけで家事をこなし、安孫子さんの肉・魚抜きのお弁当を、その後もずっと、作り続けられているのだそうです。
「恐妻カズヨ氏の元気弁当」
そんな奥さんの気持ちに答えたいと思われた安孫子さんは、感謝とリスペクトの意味を込めて、お弁当の写真を撮るようになり、やがては、スケッチブックに色鉛筆で克明に描いて残すようになったそうで、
2018年10月には、お弁当のスケッチと夫婦の思い出をまとめたエッセー「恐妻カズヨ氏の元気弁当」(仮)を奥さんが85歳を迎える2019年3月に出版予定であることを発表されると、
出版社が最初に考えたタイトルは「愛妻…」。だけど、照れくさいじゃないですか。ワイフはジョーク好きで、面白い人。僕は頭が上がらないし、怒られてばっかりだから「恐妻」に変えたんですよ。
と、コメントされています。
また、相棒の藤本弘(藤子・F・不二雄)さんをはじめ、トキワ荘の仲間だった、石ノ森章太郎さんや赤塚不二夫さんが、60~70代で亡くなっていることにも触れ、
昔は、漫画家の数が少なくて徹夜、徹夜の連続。オーバーワークのツケでしょうね。僕だけが残った。大酒を飲んだし、朝まで遊んだり、むちゃな生活をしていたのに、80歳近くになるまで、どこも悪くなかったんです。
僕は人間には自然治癒力があるのを信じているし、ゴルフで体を動かすくらいで、他に何の健康法もやっていない。たぶん、ワイフがつくってくれる食事のおかげでしょう。
と、奥さんに感謝されていました。
さて、いかがでしたでしょうか。
安孫子さんの、
- 自宅は?
- 妻は?
- 愛妻弁当(精進料理)を50年間
- 妻が脳出血で左手麻痺も、右手だけで弁当作り
- 「恐妻カズヨ氏の元気弁当」
について、まとめてみました。
安孫子さんが、素晴らしい作品を次々と発表できたのも、奥さんのサポートがあったからこそ、だったのですね。これからも、奥さんの愛妻弁当を食べて、末永くお元気でいてほしいものです。
「藤子不二雄aの現在は?病気?藤子a展でグッズ販売も!」に続く