就職した会社を半日で辞め、ひたすら漫画を描き続けた藤本弘(藤子・F・不二雄)さんと、コネ入社の居心地の良い快適なサラリーマン生活をしつつ、週末だけ藤本さんを手伝っていた安孫子素雄(藤子不二雄A)さんですが、最終的には気持ちを一つに上京され、貧しくも楽しい「トキワ荘」での暮らしをされていたのですが・・・

「藤子不二雄が若い頃は就職?トキワ荘では赤塚不二夫や石ノ森章太郎と!」からの続き

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新漫画党~仕事が殺到

しばらくすると、手塚治虫さんが、長者番付の画家部で2位になった影響から、少年漫画が一気に盛り上がったそうで、

読み切り作品や「新漫画党」メンバーによる合作などをこなしているうちに、折からの少年漫画ブームに乗り、仕事のオファーが殺到。

(「新漫画党」とは、寺田ヒロオさん、森安なおやさん、永田竹丸さん、坂本三郎さんが結成した新進児童漫画家のグループ)


(後列左から)寺田ヒロオさん、つのだじろうさん、森安なおやさん、赤塚不二夫さん、石ノ森章太郎さん、(前列左から)藤本さん、鈴木伸一さん、我孫子さん。

デビューしたばかりの新人漫画家だったお二人にとっては、どれも魅力的なオファーばかりで、到底断ることなどできるはずもなく、毎月6本の連載マンガを持つようになったそうで、

安孫子さんいわく、

徹夜徹夜で。漫画家には描くスピードというのがあって、手塚治虫先生や石ノ森章太郎氏は速い。僕や藤本君、赤塚不二夫氏は遅いんです。

トキワ荘で机を並べてると分かるんだけどね、僕らが1ページ描くうちに石ノ森氏は4ページくらいは描いてる。これはもう先天的なものでね。

だから、毎日、仕事仕事で机に向かっていました。寝る時間もなく牛乳飲みながらコッペパンをかじって描いていましたよ。よく生き延びたなと思います(笑)。

と、箸を使わずに食べることができる食料を買い込んでは、食事をしながらも描き続け、なんと、70時間不眠不休という日が3ヶ月も続くほど、お二人は仕事に忙殺されたのでした。

連載の締切を落として干される

それでもオファーは止むことがなかったそうで、断るのがもったいないと、オファー全部を引き受けたお二人は、1955年の正月には、仕事の締切を抱えたまま、富山に一時帰省します。

しかし、疲労困憊だったお二人は気が緩み、1ページも原稿を描かないまま、5日まで寝るだけの生活を送ってしまうと、各出版社から、

ゲンコウハヤクオクレ

との電報が。

そして、その後も、気が焦るだけでまるで描けず、10日過ぎた頃には、ついに、

ゲンコウオクルニオヨバズ ヨソヘタノンダ

という電報が。

この大失態で、お二人は、仕事の3分の2をなくしてしまったのでした。

さらに、激怒した編集者たちが、

藤子不二雄には仕事を出さないほうがいい

と、他の編集者たちにも声をかけたようで、

その後は、旧知の編集者にさえ、原稿を描いて持っていっても突き返されるという日々が続き、お二人は、事実上、漫画界から追放されてしまったのでした。

復活~ピンでも活動

こんな状況から、一時は漫画家廃業も考えたお二人でしたが、

藤本さんの、

時間がある今こそ自分たちの作品を描くチャンス

との言葉で、この状況をプラスに捉えるようになると、「トキワ荘」の漫画仲間たちの存在にも救われ、闘志を燃やされたそうで、

貯金と、たまにもらえるカットの仕事で、なんとか食いつなぎつつ、コツコツと漫画の案を出し続けると、約1年後には、ようやく、徐々にオファーが舞い込むようになり、ついには、完全復帰。

そして、その後は、漫画を描くかたわら、当時まだ珍しかったテレビを秋葉原で購入したり、8ミリカメラで映画を製作したりするなど、余裕も出てきたそうで、

1959年には、「週刊少年サンデー」に初の週刊誌連載漫画「海の王子」(合作)を連載するほか、1960年には、徐々にピンでも活動するようになったのでした。


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「スタジオ・ゼロ」で「オバケのQ太郎」も9回で打ち切り

そして、お二人は、1961年に「トキワ荘」を出ると、1963年には、鈴木伸一さん、石ノ森章太郎さん、つのだじろうさんらとアニメーション・スタジオ「スタジオ・ゼロ」を結成。

1964年には、「週刊少年サンデー」編集部から、お化けを主人公にした漫画の依頼を「スタジオ・ゼロ雑誌部」の仕事として引受けると、

「週刊少年サンデー」6号で、ごく普通の家庭に住み着いた、1匹の間の抜けたお化けが引き起こすドタバタ騒動を描いたギャグ漫画「オバケのQ太郎」の連載がスタートするのですが・・・

読者の反応がまったくなく、連載はたった9回で終了。

(安孫子さんいわく、実は、連載中もあまり仕事に力が入らず、周囲からも期待されていなかったそうです)

ところが、いざ連載が終了すると、連載の再開を求める手紙が殺到し、3ヶ月後に連載を復活すると、たちまち大ヒット。


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これにより、安孫子さんと藤本さんは(それまではシリアスな路線の作品が多かったのですが)、

ギャグ漫画の藤子不二雄

として、広く知られるようになったのでした。

(ちなみに、連載再開後は、お化けが好きな藤本さんがストーリーを一人で担当し、安孫子さんとほかのメンバーは作画協力にとどまったそうです。)

「藤子不二雄のコンビ解消理由はドラえもんだった?」に続く

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