1989年、10歳の時、NHK銀河テレビ小説「ある時は妻」で子役デビューすると、以降、数多くのテレビドラマや映画に出演し、近年は、バラエティ番組での歯に衣着せぬ物言いで人気を博している、遠野なぎこ(とおの なぎこ)さん。ただ、そんな遠野さんは、幼い頃からお母さんによる壮絶な虐待に苦しんでいました。
年齢は?出身は?身長は?本名は?
遠野さんは、1979年11月22日生まれ、
神奈川県川崎市のご出身、
赤ちゃんの頃の遠野さん。
身長164センチ、
血液型はO型、
学歴は、
川崎市立中野島中学校
⇒東京都代々木高校定時制中退(現在は閉鎖)
趣味は、料理、読書、猫と遊ぶ、
ちなみに、本名は青木秋美(1989~1994)
旧芸名は、遠野凪子(1994~2010)です。
生い立ち
遠野さんのお母さんは、女優になりたかったそうですが、高校生(18歳)の時、遠野さんを身ごもり、地元・青森から夫となる男性と駆け落ちして、神奈川県川崎市に移り住んだことで、生活も苦しかったことから、自分の人生を狂わせたと、幼い遠野さんに辛くあたるようになったそうです。
(その反面、幼い弟と妹には優しかったそうです)
また、お母さんは、母親になりきれずに女性の部分が強く、夫(遠野さんの父親)と離婚後は、男性をコロコロとかえ、家から出ていくこともあり、1週間放置されたこともあったとか。
NHK銀河テレビ小説「ある時は妻」でテレビドラマデビューも・・・
そんなある日のこと、お母さんが、女優になる夢を子どもに託して、弟と妹を児童劇団に入れるのですが、思いがけず、遠野さんも劇団スタッフに声をかけられ、子役をやることに。
そして、1989年、10歳の時、NHK銀河テレビ小説「ある時は妻」でテレビドラマデビューすると、遠野さんは端役だったのですが、ドラマはヒット。
すると、お母さんから、突然、バレエ、ピアノ、習字と習い事をさせてもらったそうで、
遠野さんは、
ママに認められた
と、舞い上がる気持ちで、習い事も劇団も熱心に通われたそうですが、お母さんが褒めてくれたことは一度もなかったのでした。
子役として人気が上昇した頃の遠野さん。
母親から壮絶な虐待
それどころかお母さんは、娘が女優であることに嫉妬し始め、まだ小学生だった遠野さんを「女性」として扱い、外出する時は遠野さんを着飾らせ、帰宅すると鼻血が出るまで殴る蹴るの暴行を浴びせます。
そして、遠野さんが中学生になると、お母さんは、彼氏の下半身の写真を見せて、「すごいでしょ」と言ってきたそうで、遠野さんは、吐き気がするほど気持ち悪かったそうですが、同意しなければ、お母さんに捨てられると思い、「はい」と答えざるを得ず、
しかも、同じ頃、再婚相手(遠野さんの義理の父親)と入浴を強要されるなど、精神的な虐待を繰り返されたのでした。
(お母さんは、再婚相手がいるにもかかわらず、別の男性とラブホテルに行くなど、平気で不倫をするような人だったそうです)
「ブス」「醜い」「肌が汚い」「脚が短い」と言われ続ける
また、お母さんは、「あなたが外で恥をかかないためよ」と前置きし、「ブス」「醜い」「鼻が低くて目が細すぎる」「肌が汚い」「脚が短い」などと辛辣な言葉を繰り返したそうで、
そのため、遠野さんは、自分の容姿に自信が持てなくなり、いまだに、大きな鏡を見ることが怖くて、小さな鏡しか見ることができないそうで、
遠野さんは、そんなお母さんについて、
私はずーっとお前はブスだ、醜いと言われ続けていました。母は18歳で私を産んだのですが、生活が苦しくて、今思うと自分の人生を狂わせた私のことが憎かったのかもしれません。
だから、私が売れ出すと、嫌がらせをするんです。映画で新人賞をとったときにいただいた盾も勝手に捨てられたし。
世の中で最初に出会う人に愛されずに育つと、自信なんて持てませんよね。私、今でも自分のことブスで気持ち悪いって思っていて、小さい鏡しか見られないんです。
収録や撮影で、大きな鏡の前でメークしてもらうときは、自分を直視できないですもん。
と、語ったのでした。
「遠野なぎこの若い頃は?未成年の激しいラブシーン後は芸能活動休止!」に続く