中学3年生の時、ファンだった歌手・布施明さんが出演する「渡辺プロダクション」のイベントに行った際、歌手としてスカウトされた、辺見マリ(へんみ まり)さんは、その後、レッスンに励み、1969年、ついに、シングル「ダニエル・モナムール」でデビューを果たします。

「辺見マリは中3の時に布施明出演イベントでスカウトされていた!」に続く

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19歳でデビューが決まる

中学3年生の時にスカウトされて以来レッスンを続け、1967年、17歳の時には、ようやく本格的に上京するも、なかなかデビューが決まらず、イライラする日々を送っていたという辺見さんですが、

1969年のある日のこと、ついに、レコード会社の会議に呼ばれて歌うことになったそうで、ドキドキしながら、みんなの前で歌ったそうです。

(当時、デビューが決まった新人は、会議室に呼ばれて、お披露目として歌を歌い、最終的なプロデュースの方向性などが決められていたそうで、この時デビューが決まっていたのは森進一さんだったそうですが、それと同時に、デビューさせるかどうかの境界線にいる人を判断する場でもあったそうで、辺見さんが呼ばれたそうです。)

そして、歌を歌い終わり、待っていると、

次は君の番だ。僕がやるからデビューするよ

と、声をかけられたそうで、

辺見さんは、その時の嬉しさと言ったら、言葉で言い表せないほどだったそうです。

母親から実の父親でないことを明かされるもショックはなかった

そんな辺見さんは、1967年、17歳の誕生日に上京した際、その日の夜のレッスンの後、いつも泊まっていた東京の第一ホテルの部屋で、

お母さんから、

マリ、パパはね、本当のパパとは違うのよ

と、話をされたそうです。

(両親は、そろそろ具体的なデビューの話が出そうだと感じ、芸能界デビューしたら、マスコミに出生の秘密を暴露されるのではと恐れ、辺見さんに事実を伝えることを決意されたそうです)

ただ、辺見さんとしては、

父親が別にいるなんて思ったこともなかったけど、それまでの幸せな積み重ねがあったからなのでしょう。

だから「本当の父親に会いたい」と思ったこともありません。事実がどうあれ、私の父はこの人だけ。本当の家族はずっと一緒にいてくれた母と父なんです

と、全然ショックではなかったそうで、

その直後、ホテルの部屋からお父さんに、

お父ちゃん、ありがとう

と、電話をしたそうです。

すると、お父さんは、

何言うてんねん

と、言ったそうですが、それきり2人とも沈黙したそうで、

辺見さんは、

心の中では伝えたい思いがたくさんあったのに、言葉にならなかった。父もそうだったのかもしれません。

と、語っておられます。

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「やめて~」の「経験」が大ヒット

さておき、辺見さんは、1969年11月、19歳の時、シングル「ダニエル・モナムール」でデビューすると、翌年の1970年には、「やめて~」という、ため息混じりの歌詞が入った、セカンド・シングル「経験」が男性を中心に大ヒット。


「ダニエル・モナムール」


「経験」

すると、その後も、

「私生活」(1970)
「めまい」(1971)


「私生活」


「めまい」

が、立て続けにヒットし、1970年末には、「第21回NHK紅白歌合戦」に初出場を果たすなど、辺見さんは、たちまちスターダムへと駆け上がり、セクシー歌手として人気を博したのでした。

「辺見マリは旦那の西郷輝彦にベタ惚れだった!」に続く

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