1982年、高校生の時、「X(エックス)」(現在の「X JAPAN」)を結成されると、その後は、過激なパフォーマンスと激しくも美しい楽曲で絶大な人気を博し、瞬く間にスターの座に駆け上った、YOSHIKI(よしき)さん。今回は、そんなYOSHIKIさんのルーツとなるご両親と生い立ちについて調べてみました。

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年齢は?出身は?身長は?本名は?

YOSHIKIさんは、1965年11月20日生まれ、
千葉県館山市のご出身、


七五三の時のYOSHIKIさん(3歳)。

身長175センチ、

血液型はB型、

本名は「林佳樹(はやし よしき)」で、相性は「よっちゃん」、

学歴は、
館山市立北条小学校
⇒館山市立第二中学校
⇒館山市立第三中学校
(生徒増加に伴う分割により編入)
⇒千葉県立安房高等学校卒業


中学生時代のYOSHIKIさん。

趣味は、水泳、

特技は、デザイン、

ちなみに、兄弟は二人兄弟で、弟さんは、5歳年下で、2000年のテレビドラマ「やまとなでしこ」に出演されていた、元俳優の林光樹さんですが、現在は、芸能界を引退し、YOSHIKIさんのマネージャーをされています。


YOSHIKIさん(左)と弟の光樹さん(右)。

幼少期は病弱

YOSHIKIさんは、千葉県館山市の老舗呉服店を営む裕福な家庭の長男として誕生するのですが、幼い頃から病弱で、重い「小児喘息(ぜんそく)」を患っていたため、小学校の中学年になるまで頻繁に入退院を繰り返す生活を余儀なくされており、

お母さんにも、

病気で死ぬのではないかと思ってた。生きていることが奇跡。

と、言われたことがあるほど体が弱く、夜に喘息の発作が起きると、YOSHIKIさんだけ違う部屋で寝かされたそうで、

YOSHIKIさんは、そのことについて、

人生で孤独を覚えたのもそれからです

と、語っておられます。


幼い頃のYOSHIKIさんとお母さん。

4歳でピアノを始め~才能開花

そんなYOSHIKIさんは、お父さんがクラシックやジャスが好きで、よくジャスピアノを弾いておられたそうで(お父さんは、呉服店を継ぐまではプロのタップダンサーとして活動されていたそうです)、

その影響から、4歳の時、ピアノを弾きたいとお父さんに話したところ、お父さんがピアノをプレゼントしてくれ、近所のピアノ教室に通い始めることに。

すると、先生に褒められるのが嬉しくて、ピアノの腕前はメキメキと上達したそうで、喜んだお父さんは、毎年、YOSHIKIさんの誕生日に新しい楽器をプレゼントしてくれ、YOSHIKIさんはますます音楽にのめり込みます。

また、YOSHIKIさんは、お父さんのクラシック音楽のレコードを好んで聴き、8歳の時には、シューベルトの交響曲第8番ロ短調「未完成」とベートーヴェンの交響曲第5番ハ短調「運命」が収録されたレコードを、初めて自分のお小遣いで買ったそうで、

YOSHIKIさんは、

両親には過保護に育てられましたね。父はよくジャズピアノを弾いていました。父の譜面を見ながら僕も弾いてみたら、父より僕の方がピアノが上手だったんですよ(笑)。

そのことを父に話すと父は笑っていました。

と、語っておられました。

父親から溺愛される

ちなみに、YOSHIKIさんは、体が弱かったこともあり、お父さんから惜しみない愛情を注がれたそうで、毎日のようにプレゼントを用意してもらったほか、YOSHIKIさんがどんないたずらをしても、一切怒ることなく、いつも笑顔だったそうで、

ある時、YOSHIKIさんが、お父さんのコレクションのレコードを何百枚も家の2階から投げ落とし、割れる爽快感を楽しんだことがあるそうですが、そんな時でさえ、お父さんは笑っておられたのだとか。

(その経験からか、YOSHIKIさんは物を壊すのを悪いと思わなくなったとか)


幼い頃のYOSHIKIさんとお父さん。

また、お父さんは、雨の日には、「リンカーン・コンチネンタル」に乗って学校まで迎えに来てくれたほか、YOSHIKIさんが、小学校時代、給食のパンをそのまま食べるのが嫌いだと知ると、トースターを学校へ持たせてくれたことも。

そして、YOSHIKIさんが学校でパンを焼いて食べていると、先生から、

全員が食パンを焼けないからやめなさい!

と、注意されたそうですが、

次の日には、トースターを2台持たせてくれるなど、YOSHIKIさんはお金持ちのお坊ちゃんとして甘やかされて育ったのでした。

父親が自殺

しかし、1976年8月、YOSHIKIさんが10歳の時、大好きだったお父さんが、34歳という若さで、突然、他界。

YOSHIKIさんが夏休みの器楽クラブから帰ると、白い頭巾をかぶったお父さんが布団に寝かされていたそうで、集まった親戚から、お父さんは病気で寝ていると聞かされたそうですが、

みんなが泣いていたため、すぐに、

ああ、死んだんだ。寝ているんじゃないんだな

と、お父さんが亡くなったことが分かったそうです。

ただ、YOSHIKIさんは、突然の出来事を受け入れることができず、

何でそんな嘘をつくの! お父さんは病気なんかじゃない。死んじゃったんでしょう! だからここに寝てるんでしょう

と、お母さんや親戚に当たり散らしたそうで、

その時のことをインタビューで、

人が死ぬって身近で起こるとは思わないじゃないですか。子供だし生と死の違いもわからないし。あのとき、僕は気持ち悪くなるまで、倒れるまで泣いたのを覚えています。

人生には消えていく思い出と鮮明な思い出と二つあると思うんですよ。この瞬間のことは、まるで昨日のことように鮮明に覚えているんです。

でも、その後のことはきっと脳がシャットダウンしようとするんでしょうか、まったく記憶が定かでないんです。

と、語っておられました。

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自身も自殺を考えるも気丈な母親を見て奮起

ところで、YOSHIKIさんは、当時、お父さんの死因は心臓発作だと聞かれていたのですが、

なぜ僕は生きているのに、父は死んだのか

どういう風に死ねば、楽に死ねるのか

など、子どもながらに毎日自殺を考えていたそうです。

そして、お父さんの死後は、お母さんと弟の3人でお互いを気遣い、一切お父さんの話しをしなくなったのですが・・・

それから数年後、YOSHIKIさんは、親戚に家に行った時、偶然、お父さんが自殺だったことを聞いてしまったそうで、

YOSHIKIさんは、その当時のことを、

本当にびっくりしました。湧いてきたのは父への怒りで、その思いはきっと今もおさまっていないんですよね。父への思いは、愛、恋しさ、怒りがミックスされていて自分でもよくわからないんですよね。

と、おっしゃっていました。

ただ、お母さんはというと、お父さんの写真1枚を残して、そのほかの遺品をすべて処分し、休みの日は、YOSHIKIさんと弟を外へ連れ出すなど、明るく振る舞ってくれたそうで、

そんな気丈なお母さんの姿を見て、YOSHIKIさんは、

長男の自分がしっかりしなきゃいけないのかな

と、思うようになったのだそうです。

「YOSHIKIのX結成前はToshlとDYNAMITE!ヴォーカルやギターもしてた?」に続く

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