今では、押しも押されぬ大女優の、三田佳子(みた よしこ)さんですが、女優への道を歩み始めたのは、中学生の時、森繁久彌さんの娘役でラジオに出演したがきっかけでした。まずは、そんな三田さんが、東映現代劇の看板女優となられるまでの経緯をご紹介します。
年齢は?出身は?身長は?本名は?
三田さんは、1941年10月8日生まれ、
大阪府大阪市天王寺区生まれ(東京都中野区育ち)、
身長は158センチ、
血液型はO型、
学歴は、
女子美術大学付属中学校・高等学校卒業、
趣味は、
読書、映画観賞、散歩、
ちなみに、本名は、高橋嘉子(たかはし よしこ)(旧姓:石黒)です。
中学生の時の三田さん。
デビューは森繁久彌の娘役でラジオ出演
三田さんは、大阪府大阪市天王寺区で誕生すると、生後わずか半年で東京に移り住まれるのですが、戦争が始まり、3歳の時には、一家で山梨県に疎開。終戦後は、再び東京に戻られると、下北沢を経て、中野区で育ちます。
(8歳の時には両親が離婚し、三田さんはお母さんに引き取られたそうです)
そして、成長した三田さんは、中学生の時、詳しい経緯は分かりませんが、森繁久彌さんの娘役でラジオドラマに出演。(三田さんは「不思議なご縁から」とおっしゃています)
そのうち、時代が、ラジオ全盛の時代から、テレビ全盛の時代に移行し、まず、NHKが試験放送を始めると、三田さんは、女学生A役やB役などで出演されます。
ほどなくして、テレビが民法でも放送されるようになると、森繁さんが、
佳子、今度は正月のこういう番組に出なさい
と、次の役を用意してくれたそうで、三田さんは、自然な流れで女優の道を歩み始めることが出来たのだそうです。
ちなみに、今では、押しも押されぬ大女優の三田さんですが、女学生A役やB役のときには、「こんにちは」というだけでも緊張してしまい、
あ、自分の番なんだ、しゃべらなきゃ
と思うと、セリフが出てこなかったそうです♪
生CMでのトチリがかわいいと人気
そんな三田さんは、コマーシャルガールをやることになるのですが、相変わらず、
トチリの佳子ちゃん
と、呼ばれるほど、あがり症で、
旭化成の新製品「カシミロン」のCMに出演された際には、当時はCMも生放送で、ターリーという大きなランプがついたらカメラが回ってCMが始まり、30~90秒間、製品の説明をしないといけなかったのですが、
電波に乗って、全国に私の姿が流れていくんだ
と、思うと、肝心のセリフが全く出てこず、頭が真っ白になってしまったそうで、
あ、カシミアタッチのカシミロン。うふふ、あ、あの……
と、にっこり笑うだけで、90秒が経過し終了してしまったのだとか。
さすがに、これではコマーシャルにならないと、やめさせられることになったそうですが・・・
視聴者からは、
明日はどこまで言えるか楽しみ
と、逆に人気が出たそうで、
あのコをやめさせないで
と、全国から投書が殺到し、三田さんはコマーシャルガールを続けることが出来たのだそうです♪
(テレビ放送が開始した当初のCMは、主に一社提供番組が多かったことから、番組本編の合間に、CM専属のタレント、または、その番組に出演している俳優・女優・タレントが起用され、スポンサー企業の商品について実演を交えて分かりやすく紹介していました。)
東映の看板女優に
こうして、人気が出た三田さんは、その後、「週刊サンケイ」のコマーシャルガールの特集企画で表紙を飾ると、これがきっかけでスカウトされ、高校卒業後の1960年の春、「第二東映」に入社。
同年、映画「殺られてたまるか」で女優デビューを果たすと、当初から主役級の役で起用され、佐久間良子さんに次ぐ東映現代劇の看板女優として活躍されたのでした。
「三田佳子の昔は?デビューからの出演ドラマ映画を画像で!」に続く
「殺られてたまるか」より。