私生活では、2001年に奥さんを「乳ガン」で亡くし、その後、2004年には、(なんと、奥さんの遺言で?)再婚された、地井武男(ちい たけお)さんですが、今回は、そんな地井さんの、晩年についてご紹介します。
「地井武男の嫁は前妻とも友人だった!娘はニューヨーク?息子は?」からの続き
目が見えない~心臓疾患が判明
地井さんは、2012年1月31日、「スポーツ報知」により、目が見えないと訴え、精密検査のため、入院されたことが報じられます。
地井さんは、自身の紀行番組「ちい散歩」では、ずっと元気な姿を見せており、これまで大病などもなく、急に体調を崩されたとのことで、地井さんご本人も、早期に現場復帰することに意欲見せておられたのですが・・・
同年2月15日、目の病状は良くなったものの、
無理をすれば心不全を引き起こす可能性がある
と、検査で心臓の疾患が判明したため、
地井さんは、
関係者の皆様へ このたびは、皆様にご心配をおかけいたしております。本日、心不全精査および治療を要すとの診断が下り、しばらくの間治療に専念したく、お休みさせて頂くことに致しました。ご迷惑をおかけし、心からお詫び申し上げます。
と、大事をとって、すべての仕事をキャンセルされたのでした。
また、「ちい散歩」についても、2月分は収録済みのため、2月29日から3月末までは過去の映像を再編集した名場面集などを放送するなど、番組の打ち切りについては「まったくありません」と、番組側は否定していたのですが・・・
「ちい散歩」終了
その後、地井さんは、3月中旬に退院され、自宅療養されるも、復帰の目処が立たず、
このままでは申し訳ない
と、事務所を通じて番組終了を申し出られたそうで、同年4月7日、「日刊スポーツ」が、5月4日の放送をもって終了することを報じたのでした。
「ちい散歩」より。
(最終回では、地井さんご本人の直筆によるお礼のメッセージが読み上げられました)
所属事務所によると、地井さんは、リハビリのため、自宅周辺を散歩するなどし、回復に向かっているものの、心臓への負担を考慮して、1~2ヶ月以内の仕事復帰は不可能な状態ということで、経過次第では、心臓の手術を受ける可能性もあるとのことでした。
(地井さんがパーソナリティーを務められていた、ラジオ番組「地井武男の音楽旅行」も、3月以降は、布施博さんら俳優仲間や共演者らが月替りでパーソナリティーと務める形で継続していたのですが、結局、同年9月30日をもって番組終了となっています)
心不全のため死去
そんな地井さんは、同年6月20日、東京都港区の病院に検査入院されると、少し痩せていたものの、病室ではストレッチをしたり、院内を歩き回るなど、お元気なご様子で、
いいダイエットになった
と、周囲を笑わせ、28日も家族や事務所関係者らと談笑されていたそうですが、6月29日早朝に容態が急変。
奥さんと娘さんに看取られて、「心不全」のため他界されたのでした。(享年は70歳)
お別れ会での田中邦衛の言葉が泣ける
そして、2012年7月6日、東京・青山葬儀所でしめやかにお別れ会が営まれると、雨が降りしきる中、発起人で、「北の国から」で22年の長きに渡って共演された田中邦衛さん、「太陽にほえろ!」で共演された渡哲也さんほか、多くの関係者が参列。
田中邦衛さんは、参列者代表7人による「お礼の言葉」で、同じく共演者だった吉岡秀隆さんに付き添われながら、最後に祭壇の前に立つと、
おいら、何度言われても信じられないよ。去年の暮れに来てくれたけど、あれは別れに来たのか?
3ヶ月前の4月に電話をくれたな。手紙もくれた。会いたいよ、地井に会いたいよ!
と、地井さんの遺影に向かって悲痛な胸の中を語り、
2002年の「北の国から 遺言」で、地井さんが、実生活と重なる妻がガンであることを打ち明けられたシーンを振り返ると、
凄まじい心情表れる長い長いシーン。芝居じゃないって、わかったよ。
と、語りかけ、参列者の涙を誘ったのでした。
地井さんの遺影に語りかける田中邦衛さん。
水谷豊との絆
また、1990年にテレビドラマ「刑事貴族」で共演された、水谷豊さんも、このお別れ会に参列されているのですが、
水谷さんは、10歳年上の地井さんが、
10年早いよ
と言って、一度もご飯をおごらせてくれなかったこと、
入院直前には、
ありがとう、豊ちゃん。ありがとう。
と、かすれた声で自分を抱きしめてくれたこと、
そして、退院直後には、電話がかかってきて、
2分ちょうだいと言われ、2分待ちました。声が聞こえてきませんでした。泣いているのが分かりました。2分経った後に「豊ちゃん。あんたのこと好きだったよ」とおっしゃいました。
と、地井さんとのやりとりを、声を震わせながら語っておられます。
ちなみに、地井さんの遺骨が備えられた祭壇には、
地井さんが日頃から
日本の四季を大切にしたい
と、話されていたことから、
ご本人が好きだった黄色にちなんでヒマワリが中心に飾られ、地井さんの遺影の周りには、2万本以上の花が飾られたのでした。
(通夜・葬儀・告別式は近親者のみで執り行われたそうです)
分骨
ところで、2014年、週刊誌「女性セブン」(7月10日号)は、地井さんの死後、後妻のA子さんが、分骨の決断を下したと報じています。
というのも、現在、地井さんのお骨は、千葉県内の公園墓地に建てた、前妻・佐和子さんのお墓に納骨されているのですが、A子さんが、三回忌を機に分骨し、自身と一緒に入れるお墓を作ろうと考えておられるというのです。
その理由について、A子さんの知人は、
A子さんは地井さんから、自分の骨は前妻の墓に納骨するようお願いされていたんです。地井さんの気持ちは理解していたし、前妻とも親しかったから彼女も納得していました。
でも、実際に納骨となると自分の元から前妻の元へ返すようで寂しかったんでしょうね。49日法要後もしばらくは納骨できずにいましたから。
と、明かされており(Aさんが納骨されたのは、地井さんの死後4ヶ月後だったそうです)、
それから2年の月日が経って、A子さんも60歳となり、自身のお墓についても考えるようになったそうで、
A子さんの場合、選択肢として、
- 前妻と地井さんが眠る墓に自分も入る
- 全く新しいお墓にひとりで入る
- 前妻と眠る地井さんの骨を分骨して、新しい墓にふたりで入る
が、ある中で、
先程の知人によると、
いくら前妻と仲が良いとはいえ同じお墓に入るのは気が引けるし、かといって地井さんとも離れたくない。
A子さんにはひとり息子がいますが、自分のお墓をどうするか自分自身で決めておかなければ、分骨するのかしないのか、新しいお墓を作るのか作らないのかを彼に考えてもらわなければならない。
そんな難しい選択を任せるわけにはいかないと、自分が元気なうちに決めてしまおうという深謀遠慮があったんです。
と、Aさんは、悩んだ末、納骨されている地井さんの遺骨の一部を取り出して、新たなお墓に分骨することにされたというのです。
ちなみに、一度、納骨した遺骨を分骨する場合、お墓の使用権を所有する人物の同意が必要になるそうですが、佐和子さんのお墓の所有権を持つ地井さんが亡くなった後、通常であれば、妻であるA子さんが継ぐところ、娘さんの気持ちを考えて、娘さんが継いでおられるため、Aさんは娘さんに分骨をお願いされたそうです。
すると、娘さんは、A子さんがお母さんにしてくれたこと、お父さんを懸命に愛してくれたこと、さらに、地井家のお墓の世話までしてくれたことに、心から感謝されていたため、A子さんの願いを何も言わず快く受け入れられたそうで、A子さんは地井さんの三回忌を機に分骨の手続きをされるのでは、とのことでした。
さて、いかがでしたでしょうか。
地井さんの、
- 年齢は?出身は?身長は?
- 本名は?愛称チイチイの由来は?
- 少年時代はテニスと絵画
- 若い頃は「俳優座養成所」を経て劇団「自由劇場」
- 「太陽にほえろ!」「北の国から」などテレビドラマに出演
- 出演作品(テレビドラマ)
- 出演作品(映画)
- 「北の国から」で迫真の演技
- しいたけにパンダ?
- 「ちい散歩」が大ヒット
- 首から下は地井武男?
- 嫁は?
- 再婚相手と前妻は友人だった
- 再婚は前妻の遺言だった
- 再婚相手は芯の強いスレンダー美人
- 娘はニューヨーク!息子は?
- 目が見えない~心臓疾患が判明
- 「ちい散歩」終了
- 心不全のため死去
- 別れ会で田中邦衛の言葉が泣ける
- 水谷豊との絆
- 分骨
について、まとめてみました。
ご家族だけでなく、共演者ほか多くの人達から愛された地井さん。この機会に、その温かく優しいお人柄がよく現れていた「ちい散歩」など、ご覧になられてはいかがでしょう。
地井さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
「地井武男の生い立ちは?若い頃は太陽にほえろ!北の国から!」