歌手としては、1965年、「野郎笠」で歌手デビューするも、鳴かず飛ばずだった、杉良太郎(すぎ りょうたろう)さんですが、俳優としては、1966年、半ば渋々、「燃えよ剣」の主役・沖田総司役を引き受けられたのをきっかけに、「文五捕物絵図」でブレイクされます。
「杉良太郎の昔は野郎笠で歌手デビューも鳴かず飛ばずだった!」からの続き
「文五捕物絵図」で一躍スターダムにのし上がる
1966年、「燃えよ剣」の主役・沖田総司役に抜擢され、俳優デビューを果たされた杉さんは、その後すぐに、江戸時代を舞台に、神田天神下に住む岡っ引・文五の活躍を描いた、NHKの時代劇「文五捕物絵図」のオーディションを受けると、見事、主人公の文五役に合格。
その後、1年間、NHKで特訓を受け、撮影に臨まれると、1967年、「文五捕物絵図」の放送が開始するや、大きな反響を呼び、杉さんは、一躍脚光を浴びます。
「文五捕物絵図」より。(左から)長谷川稀世さん、奈美悦子さん、杉さん。
そのため、当初、1年の放送予定だったのが、NHKでは異例の、半年延長となるほどの大ヒットとなったのでした。
民放局から次々とオファーが舞い込むも・・・
こうして、一躍スターダムにのし上がった杉さんには、民放のテレビ局からも、次々とオファーが舞い込み、
1968年「愛妻くんこんばんは」
1968~1969年「喧嘩太郎」
1969年「なんでも引きうけ候」
NHK大河ドラマ「天と地と」
「喧嘩太郎」より。山本陽子さんと杉さん。
「天と地と」より。織田信長に扮する杉さん。
と、立て続けにテレビドラマに出演されるのですが・・・
視聴率競争で芸能界に嫌気が差す
この頃の杉さんの睡眠時間はたったの3時間。本来は8日かけて1本のドラマを撮影するところを、自身の出番のところは1日半という猛スピードで撮らなければならないほど時間が間に合わず、ハードスケジュールだったそうで、
さらには、テレビの視聴率競争(杉さんいわく、戦争)に巻き込まれていったのもこの頃だったそうで、視聴率が悪いと、主役が悪いと言われるため、いつも、断崖絶壁に立たされ、落ちたらおしまい、という感覚だったというのです。
そのため、杉さんは、あえて視聴率が高い枠を避けて、視聴率の低い枠を選び、わずか数%から、10%、20%と上げていくようにされ、
視聴率を上げるためにはどうすればよいか?
視聴者がどうすれば喜ぶか?
どういう場面で留飲が下がるのか?
などを、ずっと考えていたそうで、
そこで、新聞を読むようにし、今の世の中でどんなものが流行っているのか、人は何に関心があるのかを研究するようにし、人々が関心のある、詐欺や誘拐のネタなどを盛り込んであらすじを考え、それを3本ずつくらい脚本家に伝えて、仕上げていったそうですが、
(なんと、1400本の出演作のうち、1000本ほどはそうやって形にしていかれたのだとか)
そんな杉さんの努力をプロデューサーは知るはずもなく、杉さんが意見を言っては、
杉はうるさい
と、衝突。
杉さんも、つい、感情にまかせて、
あんたとは付き合ってられない
番組をおりる
などと、言ってしまったのだそうです。
(当時、杉さんには、付き人がいるだけで、マネージャーがいなかったため、矢面に立ってくれる人がおらず、杉さん自らが矢面に立つ形となっていたそうです。)
しかも、視聴率が上がると、そのプロデューサーの手柄となり、プロデューサーは昇進していったそうで、
そんな現実に、杉さんは、
ともに戦った戦友のように付き合える人が芸能界にはいないんだ
と、傷つき、人間不信になっていったのだそうです。
(そんな中、杉さんは、東京12チャンネル(現・テレビ東京)から、局のイメージアップに貢献した者に送られる「ステーションイメージアップ賞」を表彰されたそうで、このことは、とてもうれしく、唯一、励みになったそうです。)
「杉良太郎の若い頃は遠山の金さんのすきま風が大ヒット!助さんは嫌々だった?」に続く