「仁義なき戦い」シリーズや「トラック野郎」シリーズなどで大ブレイクすると、その後も、数多くの作品で存在感のある演技を披露していきた、菅原文太(すがわら ぶんた)さんですが、プライベートでは、辛すぎる出来事に見舞われています。
「菅原文太の仁義なき戦いほか出演ドラマ映画を画像で!」からの続き
妻は?
菅原さんは、1996年、菅原さんのマネージャーをされていた、文子(ふみこ)さんと結婚されています。
当時51歳の菅原さんと、当時20歳の文子さん。
マネージャーということで、公私ともに菅原さんを支えてこられたことは、想像に難くないですが、文子さんは、菅原さんが亡くなった数日後、「東映」を通じて、
七年前に膀胱がんを発症して以来、以前の人生とは違う学びの時間を持ち、「朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり」の心境で日々を過ごしてきたと察しております。
「落花は枝に還らず」と申しますが、小さな種を蒔いて去りました。一つは、先進諸国に比べて、格段に生産量の少ない無農薬有機農業を広めること。もう一粒の種は、日本が再び戦争をしない、という願いが立ち枯れ、荒野に戻ってしまわないよう、共に声を上げることでした。
すでに祖霊の一人となった今も、生者とともにあって、これらを願い続けているだろうと思います。恩義ある方々に、何の別れも告げずに、旅立ちましたことを、ここにお詫び申し上げます。
と、コメントを発表されています。
息子が事故死
ちなみに、お二人の間には、息子さんが一人、娘さんが二人おられたようですが、娘さん二人については、情報がないことから、一般のお仕事をされていると思われます。
一方、息子さんは、菅原加織(すがわら かおる)さんといい、1970年に誕生すると、高校在学中に、お父さんである文太さんのバックアップのもと、俳優業をスタートされ、特にヤクザ映画に出演されていたようです。
菅原加織さん
しかし、2001年、小田急小田原線の踏切内で電車にはねられ、他界。
文太さんは、加織さんを大変かわいがり、加織さんがデビューした時には、
オレのデビュー時よりずっといい
と言って、目を細めていたそうですが、
翌年の2002年、NHK大河ドラマ「利家とまつ」で親子共演が決まった矢先の悲劇でした。
菅原さんは、息子の俳優としての成長を楽しみにしていたことはもちろん、何よりも、自分より先に息子が逝くという、この世の不条理に打ちのめされたそうで、
オレ、もう仕事したくない・・・
と、親友の長門裕之さんに、苦しい胸の内を明かされていたといいます。
復帰
こうして、しばらくは失意の日々を送られていた菅原さんですが、2003年には、映画「わたしのグランパ」で活動を再開。
孫娘を見守る、老いたヤクザを慈悲深く演じ、亡くなった息子さんに捧げられています。
「わたしのグランパ」より。菅原さんと石原さとみさん。
死因はガン
しかし、2007年には、今度は、菅原さん自身に「膀胱がん」が発覚し、2009年には、俳優業をほぼ引退。
その後は、農業に従事しつつ、時折、ドキュメンタリー番組のナレーターや、CM出演などをされ、
2012年には、アニメ映画「おおかみこどもの雨と雪」で声優としても出演されましたが、
2014年、「転移性肝がん」による「肝不全」のため、帰らぬ人となられました。
さて、いかがでしたでしょうか。
菅原さんの、
- 出身は?身長は?本名は?
- モデルとして活動
- 新東宝に入社
- 松竹に移籍
- 東映に移籍
- 「仁義なき戦い」「トラック野郎」で大ブレイク
- アニメ「千と千尋の神隠し」の声優も
- 出演作品(映画)
- 出演作品(テレビドラマ)
- 妻は?
- 息子が事故死
- 復帰
- 死因はガン
について、まとめてみました。
この機会に、昭和の映画スター、菅原さんの作品をご覧になってはいかがでしょうか。
菅原さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。