シングル「うそ」「うすなさけ」「理由(わけ)」など多数のヒット曲を持ち、時代劇「新・必殺仕事人」では三味線屋の勇次役でお馴染みの、中条きよし(なかじょう きよし)さん。今回は、そんな中条さんの、生い立ち、知られざるブレイク前についてご紹介します。
年齢は?出身は?身長は?本名は?
中条さんは、1946年3月4日生まれ、
岐阜県岐阜市のご出身、
身長178センチ、
体重71キロ、
血液型はB型、
学歴は、
岐阜市立伊奈波中学校
⇒岐阜東高等学校商業科卒業(旧・岐東高等学校(1年生まで))
趣味は、ゴルフ、
ちなみに、本名は、「下村 清(しもむら きよし)」で、
旧芸名は、「高波 晃(たかなみ あきら)」「渥美 健(あつみ けん)」です。
幼少期に東映時代劇を見て俳優に憧れる
中条さんが小学生の頃、映画といえば、東映の時代劇ばかりだったそうで、銀幕のスターに憧れて、東映の太秦(うずまさ)の撮影所に見学に行き、中村錦之助さん主演の「宮本武蔵」(高倉健さんが佐々木小次郎役)を見たこともあったそうです。
そして、ある日のこと、別の映画の撮影を見学していると、ある役者を実際に近くで見たそうですが、そんなにお芝居が上手に思えず、
俺も頑張ったらできるんじゃないか
と、思ったそうで、
それがきっかけで、小学校5年生くらいの時、岐阜の劇団に入団すると、中学入学後は、演劇部に入部されたのでした。
船乗りだった
そんな中条さんは、高校卒業、(なぜか分かりませんが)船乗り(日本海航路の貨物船の司厨員)になられます。
実は、中条さんは、大変お酒が強いのですが、船員たちは、夕食を終えると、毎晩、食堂で酒盛りをしていたそうで、
中条さんはこの時、初めてお酒を口にしたにもかかわらず、「こんなものか」と思っていたそうですが、海が荒れだすと、船酔いから、一気に酔いが回って気持ち悪くなり、トイレに一目散、という日々を送ったそうで、この船乗り時代に鍛えられたのだそうです。
(ただ、船乗りは3ヶ月ほどで辞めたそうです)
歌手でスカウトされる
その後、いつ頃かは不明ですが、中条さんは、大阪の劇団に入られるのですが、まったく売れず。
そんなある日(19歳)のこと、中条さんが、事務所の上の人に呼ばれて行くと、ある歌謡ショーで前歌を歌うはずだった人が急病で出られなくなったことから、
歌を歌えない? 明日
と頼まれたそうで、
中条さんは、小学生の頃から、自分のことを音痴だと思っていたこともあり、
いえ、歌えません
と断れられたそうですが、
二曲でいいから
と押し切られたそうで、その日のうちにレコードを買いに行き、徹夜で覚えて、翌日の出番はこなしたのだそうです。
ただ、出番が終わって楽屋に戻ると、知らないおじさんが来て、
酷かったね
と、言われ、
しかし、続けて、
君、歌は酷いけど舞台映えするから、もしよかったらウチでアルバイトで歌ってみない
と、まさかのスカウトをされたそうで、
レッスンに毎日通って徐々に曲を増やしつつ、アルバイトをされるようになったのだそうです。
ミニバー経営で成功し毎晩銀座通いも歌手ではさっぱり
その後(同じく19歳頃)、中条さんは、歌手を目指し、トランク2個と30万円を持って上京すると、山手線・新大久保駅の近くにあった家賃6500円のアパートに住んだそうですが、生活のために、四谷や赤坂などでミニバーを経営されると、それが大当たり。
中条さんは、20代前半からポルシェを乗り回すようになったそうです。
また、その当時は、左ハンドル(外車)に乗ることと銀座で飲むことが、若者のステータスだったことから、中条さんは、銀座にも通っていたそうで、
初めて銀座のクラブに行った際には、万全を期して50万円ほど持っていったそうですが、実際、飲み代は6万円ほどと、想像していたよりも安かったそうで、それから、毎晩のように銀座通いを始めたられたのだそうです。
(中条さんは、ツケにするのが嫌いな現金主義だったため、「金払いのきれいな客」としてとてもモテたそうです)
ただ、歌手としては、さっぱり売れず、長く不遇の時代が続いたのでした。
「中条きよしの若い頃はさっぱりも30歳前うそで大ブレイク!」に続く