1963年、「高校3年生」でデビューすると、いきなり、大ブレイクした、舟木一夫(ふなき かずお)さんですが、時代の流れもあり、人気が低迷していくと、なんと、3度も自殺未遂をしていたといいます。
「舟木一夫の若い頃は高校三年生でデビュー即ブレイクしていた!」からの続き
舟木一夫の暗黒時代
1963年、デビュー曲「高校3年生」が、いきなり、大ヒットし、その後も、次々とヒット曲を連発した舟木一夫さんですが、
1970年に入ると、飛ぶ鳥を落とす勢いだった舟木一夫さんの人気も次第に陰りが見え始めます。
というのも、時代の流れで、歌謡曲が流行らなくなり、これまで多数出演していた、歌謡映画や歌謡番組が廃れ始めたことから、舟木一夫さんの活動の場も激減してしまったのでした。
舟木一夫は3度も自殺未遂していた
そんな中、舟木一夫さんは、ヒット曲が出ないことに、次第に精神を病み、1970年、1971年と、2度に渡る自殺未遂。
いずれも一命をとりとめたものの、さらに、1972年、27歳の時には、当時、宿泊していたホテルから失踪。
舟木一夫さんは、その日の夜、別のホテルで睡眠薬を大量に飲んだそうで、静脈に注射器が刺さったまま、布団の中で昏睡状態に陥っている姿で、マネージャーに発見されたのでした。
舟木一夫さんは、後に、このことを振り返り、
自分を取り巻く歯車が、ひとつ、またひとつ、さらにもうひとつかみ合わないままにこぼれていく。レコーディングで、テレビのスタジオで、事務所で、そして家の中で・・・
ともかく僕が動くたびに、頭の中で、カチッ、カチッと何かが音をたてていた。といって、仕事場から、事務所から、家族の前から、逃げ出すことはできない。
こうなると、先読みもマイナーな方向にしか働かない。結局は千駄ヶ谷の旅館でひとり、バカをやってしまった。
と、語っています。
舟木一夫は経済的にも行き詰まり自宅を売却していた
ちなみに、舟木一夫さんは、3度目の自殺未遂の時も、なんとか一命はとりとめているのですが、その後も、心身の不調は続いたそうで、静養のため、1973年から1974年にかけて、10ヶ月間、芸能活動を休止しています。
また、復帰後も、新しい事務所でのトラブル、可愛がっていた13歳年下の弟が事故死と、不幸が続いているのですが、経済的にも行き詰まり、自宅を売却しています。
舟木一夫は自身の業を強く意識していた
そんな中、舟木一夫さんは、お父さんの特異な職業や、極貧の少年時代など、はぐれ者として生きてきたことを、自分の業(ごう)と考えて、強く意識し、
以来、芸人としての自分も、また業だと悟り、
自分は芸人である
という自覚を持ち続けているそうで、
舟木一夫さんは、
オレは運命論者ではないけれど、美空ひばりさん、三橋三智也さん、島倉千代子さんたちのように、長く芸人をやっている人ほど、一言で言うと〝強い業〟を持っていると思う。
そういうものを持って生まれる星の人が確かにいる。芸事というのは、本番でお客さんの前に立っている状態は、命を削ると言う行為だ。結局、芸人はロウソクだと思う。
と、語っています。
舟木一夫は地道な活動の結果カムバックしていた
そんな思いを胸に、舟木一夫さんは、地方のイベント会場やデパートなどの小さなステージで、歌手としての活動を地道に続け、この苦しい時代を乗り切ったそうで、
1991年、「芸能生活30周年プレ公演」で華々しくカムバックすると、これを機に、主に、舟木一夫さんと同世代の、中高年の女性を中心に人気が再燃。
舟木一夫さんは、
同じ青春を過ごした仲間にしか、通用しない歌い手でいい。
と、彼女たちのために、歌を歌い続けたいと決意したそうで、
その後の舟木一夫さんの芸能活動は順調に進み、精力的にコンサートや舞台を中心に活動するかたわら、テレビ番組にも出演しています。
さて、いかがでしたでしょうか。
舟木一夫さんの、
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- 舟木一夫は地道な活動の結果カムバックしていた
について、ご紹介しました。
18歳の時に、デビュー曲「高校3年生」が大ヒットすると、その後も、学園3部作や数々の名曲で一世を風靡し、橋幸夫さん、西郷輝彦さんと共に「御三家」として青春歌謡界の頂点を極めた舟木一夫さん。
一時は、低迷し、自殺未遂もありましたが、今では、「御三家」の最後の一人として、亡き仲間たちへの思いを胸に、芸能生活60年を超えた現在もステージに立ち続けており、これからも、その不屈の精神と変わらぬ美声で、多くの人々に感動を届けてくれることでしょう。