少女時代、父親から日常的に暴力を振るわれていたこともあり、17歳も年上で妻子持ちの市川崑監督と不倫関係に陥ってしまった、有馬稲子(ありま いねこ)さんですが、萬屋錦之介さんからのプローポーズがきっかけで、意外過ぎる市川崑監督の姿に幻滅し、決別されます。
萬屋錦之介との出会い
駄目だとは思いつつも、ズルズルと市川崑監督との関係を続けていた有馬さんですが、そんな中、雑誌で、萬屋錦之介(当時・中村錦之助)さんと対談することになります。
そして、その対談準備のため、萬屋さんの主演映画「獅子丸一平」を見たところ、萬屋さんの花のある役者ぶりに魅了されたそうで、
それから1年後、お二人は、内田吐夢監督映画「浪花の恋の物語」(1959)で共演。
(映画のストーリーはというと、大阪新町の遊女・梅川と飛脚問屋亀屋(ひきゃくどんやかめや)の養子・忠兵衛との悲しい恋の物語で、有馬さんは、撮影中、梅川になりきって演じられていたそうです)
すると、撮影が始まって10日目、突然、萬屋さんから結婚を前提にお付き合いをしたいとプロポーズされたそうで、その後、あれよあれよと、萬屋さんのお母さんやご兄弟に紹介されることになったのでした。
市川崑監督が萬屋錦之介との結婚に猛反対
ただ、有馬さんは、まだ、市川監督との関係が続いており、未練もあったそうで、市川さんに萬屋さんのことを告げると、市川さんは、歌舞伎の名門である萬屋さんと結婚してもうまくいくわけがないと、猛反対。
そんな中、有馬さんは盲腸になって入院することになり、4時間もの手術を受けたそうですが、その手術が終わった日の夜、突然、市川さんが病室に現れると、
見舞いの言葉もなく、
(萬屋錦之介さんとの)結婚をやめろ
と言って、口説き始めたそうです。
すると、ちょうどそこへ、萬屋さんが廊下で有馬さんの名前を呼ぶ声が聞こえてきて、鉢合わせしそうになったそうで(萬屋さんは、友人2~3人とともに見舞いに来たそうです)、
なんと、市川さんは、バッとレインコートをかぶり、病室の隅の暗いところで小さくなったというのです。
ただ、萬屋さんは酔っ払っており、
おい、盛子(みつこ・有馬さんの本名)ここか?盲腸なんて病気じゃないから頑張れ
と、言うと、すぐに帰ったため、事なきを得たのですが、
この一件の後、有馬さんは一人になって落ち着いて考えようと、ヨーロッパ旅行に旅立ったのでした。
関係維持に必死な市川崑監督に幻滅し決別
そして、このヨーロッパ旅行中、有馬さんは、ついに、市川監督と別れ、萬屋さんとの結婚を決意したそうで、
(市川さんに子どもが生まれていたことを知り、有馬さんが絶望したともいわれています)
1ヶ月後に帰国し、市川監督にその旨を告げると・・・
なんと、市川監督は、
どうしても結婚するというなら仕方がない。その代わり、3月に1度でいいから、今までと同じように会うと約束してくれ。
どうしても別れたいなら、今まで君に注いできた愛情の責任を取れ。自分にも考えがある、明日の新聞を見ろ!
と、関係の維持を迫ったり、脅してきたりしたそうで、
有馬さんは、ようやくそこで目が覚め、市川さんと決別したのでした。
(有馬さんは、市川さんとの子どもを堕胎されていたことも告白されています。)