俳優の渡哲也さんとの結婚を家族に猛反対され、泣く泣く渡さんと別離を選んだ、吉永小百合(よしなが さゆり)さんですが、その後、ストレスから体調を崩す中、優しく手を差し伸べてくれた人がいました。今回は、吉永小百合さんとご主人の馴れ初めなどについてご紹介します。

「吉永小百合と渡哲也の真剣交際のきっかけは中尾彬だった?」からの続き

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15歳年上のテレビプロデューサー・岡田太郎と知り合う

1969年、両親の猛烈な反対により、俳優の渡哲也さんと破局し、その後、1971年に渡さんが結婚したことを伝え聞くと、一人、ヨーロッパに傷心旅行に旅立たったという吉永小百合さんですが、

帰国後もやる気は起きず、渡さんとの破局をきっかけに、両親とは反目するようになり、それでも、相変わらずの過密スケジュールで、ついには、精神的なストレスから、声が出なくなってしまいます。

そんな時、吉永小百合さんは、15歳年上のテレビプロデューサー・岡田太郎さんと知り合われたそうで、岡田さんは、吉永小百合さんの体調を思いやり、様々な治療法をあたっては、効果のありそうなものを勧られたほか、

声が出なくても一生懸命やれば見る人はわかってくれるよ

と、アドバイスされるなど、吉永小百合さんを励まし続けたそうで、

そんな岡田さんの言葉に心を打たれた吉永小百合さんは、いつしか、

(岡田さんは)いろんな治療法を勧めてくれて、声を取り戻しました。自分を愛してくれている、という思いが膨らんでいった

と、岡田さんとの結婚を考えるようになったそうです。

吉永小百合から結婚を迫っていた

こうして、吉永小百合さんは、お父さんには仕事の打ち合わせを装い、フジテレビがあった河田町近辺の寿司店や、新宿の和食店、銀座東急ホテルで、岡田さんとデートを重ねるようになったそうですが、

(銀座東急ホテルは、地下の駐車場からエレベーターに乗ると、1階のフロントに寄らずに部屋に行けたそうです)

結婚に積極的だった吉永小百合さんに対し、岡田さんは、バツイチだったため、

結婚は大変だよ

女優は独身のほうが有利だから、このままでいい

と、結婚を渋っていたのだそうです。

ささやかな結婚式

それでも、吉永小百合さん自ら結婚を迫って、1973年、人気絶頂だった27歳の時、めでたく結婚に至ったそうですが、案の定、岡田さんが吉永小百合さんの15歳も年上だったことや離婚歴があったことに両親は激怒したそうで、

吉永小百合さんと岡田さんは、

披露宴と会見は公の場で行うとして、挙式だけはシンプルに行いたい

と、岡田さんと同期入社の、千秋与四夫(せんしゅう よしお)さんの家で式を挙げることになり、

千秋さんは、後に、

新郎新婦に、立会い兼仲人の形で、僕とみどり(奥さんの畠山みどりさん)、それに小百合ちゃんの母親代わりの介添人として 先輩女優の奈良岡朋子さんに来てもらった。

と、5人だけのささやかな結婚式だったことを明かされています。


岡田太郎さんと吉永小百合さん。

結婚後1年間だけ女優業を休業し主婦業に専念

結婚後、吉永小百合さんは、

もう一度、人間らしい生活をしたい

との思いから、女優業を休業して主婦業に専念されているのですが、

お料理は、目玉焼きしかできなかったため、料理学校に通い、ダシの取り方や魚の三枚おろしを習うほか、銀行に自分で行って手続きをされるなど、ひたすら家庭のことに専念し、念願の「人間らしい生活」を送ることができたとのことで、

吉永小百合さんは、後に、

親が常に私の後にぴったりとくっついていて、私にいろいろ期待して、娘を守ってきたというか、溺愛されていたんですね、父にも母にも。それが苦しくて。(中略)だから結婚することで家を出て、名前を変えることで親から離れようと思いました。

結婚相手は誰でもよかった

両親からの逃避行に必死だったの

と、両親との決別する目的で結婚したことを明かされています。

(ただ、吉永小百合さんのお母さんはというと、1976年に出版したエッセイ「母だから女だから」で、娘を奪った岡田さんへの恨(うら)み辛(つら)みを綴られています)


母だから女だから

子どもは?

そんな吉永小百合さんと岡田さんの間には、お子さんはいらっしゃいません。

夫婦の約束で、子どもを作らなかったそうで、

吉永小百合さんは、2018年、映画「北の桜守」での取材の際、

映画と一緒に自然に年を重ねていけたらいい。映画たちは私の子供です。

と、おっしゃっています。

芸能界復帰後も順調な結婚生活

ところで、両親の反対を押し切って結婚し、結婚後は専業主婦の生活を満喫されていた吉永小百合さんも、翌年の1974年には復帰。

復帰後は、お互い多忙のため、すれ違いの生活が続いたそうですが、もともと、お互いの人生を尊重しての結婚だったため、結婚生活はとても順調だったそうです。

また、吉永小百合さんは、お姑さん(岡田さんのお母さん)のことをとても大事にされていたそうで、お姑さんの晩年は、岡田さん以上に介護に励んでいたと言われています。

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夫・岡田太郎は吉永小百合の手料理を楽しむ毎日

そんな吉永小百合さんは、お姑さんの介護をする中で、15歳年上のご主人・岡田さんの将来を考えて、自宅マンションをバリアフリーにすべくリフォームされたそうですが、

工事中に新たに購入して夫婦で住んでいたマンションが気に入ったため、バリアフリーのリフォームが完成した後も、以前住んでいたマンションは衣装部屋のような使い方をされていたそうです。

ただ、近年、岡田さんが高齢となり、足腰が弱くなってしまったことから、岡田さんだけ、バリアフリーのマンションで暮らすことになり、吉永小百合さんは、愛着のある新しいマンションで引き続き住む(岡田さんが住むバリアフリーのマンションは車で20分ほどだったこともあり)、別居生活を送られていたそうです。

そんな中、2014年夏頃、岡田さんが肝臓の病気で危篤状態に陥ったことから、吉永小百合さんがつきっきりで看病をされると、それが功を奏したのか、その後、岡田さんは、なんとかもちこたえ、無事に退院。

その後は、再び、お二人一緒に暮らすようになったそうで、

映画関係者の話によると、

岡田さんは小百合さんの手料理が日々の楽しみのようです。特にかつお出汁の味噌汁が欠かせないそう。それから小百合さんは酒の肴が得意で、例えば、いただき物のカラスミでも、手作りの梅酢につけたり、一手間をかけるようです。

と、現在も夫婦仲はとても良いとのことでした。

さて、いかがでしたでしょうか。

吉永小百合さんの、

について、まとめてみました。

15歳で日活に入社すると、”サユリスト”という熱狂的なファンを生み出す社会現象を巻き起こし、浜田光夫さんとの純愛コンビで一世を風靡するなど、清純派女優として一時代を築いた吉永小百合さん。

お笑い全盛の昨今は、頻繁にバラエティに出演してタレント化していく俳優・女優が多い中、吉永小百合さんには、これからも、いつまでも特別な存在で有り続けてほしいものです。

「吉永小百合の母親の実家は上流階級も生い立ちが悲惨過ぎる!」

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