80代に差し掛かろうという現在も、女優業はもちろんのこと、ご主人とともにコンサートを開催されるなど、歌手としても活動されている、倍賞千恵子(ばいしょう ちえこ)さんですが、60歳の時に「乳ガン」を患われていたといいます。
「倍賞千恵子は高倉健と交際していた!現在の夫は?」からの続き
乳ガン
倍賞さんは、2001年、60歳の時、北海道で雪かきをした日の夜、横になると腕が痛く(肩こりのような感じだったそうです)、さらに、胸にしこりのようなものを感じたことから、翌日、中標津(なかしべつ)の病院に行き、レントゲンを撮ってもらうと、
レントゲン撮影終了後、医師から、
気になるところがありますから、アップを撮ります
と、言われたそうで、
倍賞さんが、
何なんですか
と、尋ねると、
医師から、
乳ガンらしきものがあります
と、言われたのだそうです。(しかも、「ステージ3」)
ただ、注射で細胞を取ったところ(「細胞診」)、ガン細胞ではなかったことが判明したのだそうです。
(検査結果を待つ間、食事も喉を通らないくらい不安だったそうで、この検査結果に、ご主人とともに、涙を流さんばかりに喜んだそうです)
(ガンは、「ステージ0」から「ステージ5」までの5段階に分類されており、「ステージ0」は、ガンが粘膜内(上皮細胞内)にとどまっていて、リンパ節には転移していない状態のため、手術で腫瘍を取り除ける状態なのですが、病状が進行するに従って、「ステージ1」「ステージ2」・・・と上がっていくそうです)
生検でガンが発覚
しかし、やはり気になり、東京の主治医にも診てもらおうと、中標津の病院での検査資料を持って、東京の主治医に診てもらうと、触診してすぐに、
チコちゃん、これは20パーセント、がんの可能性があるね。ちゃんと調べよう
と、言われ、今度は「生検」することに。
というのも、中標津の病院で受けた「細胞診」とは、採取した臓器にいびつな細胞(ガン細胞)をあるかを検査するもので、
「子宮頸ガン」の場合なら、子宮口や子宮頸管の一部をヘラや綿棒でこすり取って細胞を集め、「肺ガン」の場合なら、痰を取るなど、集めた細胞を観察するそうですが、「細胞診」だけでは決定的な診断は難しいと言われており、
疑わしい病変の一部を切り取り、菌や腫瘍があるかどうかを詳しく調べる「生検」(例えば、胃カメラを飲んで潰瘍が見つかったら、組織の一部を採取して顕微鏡で観察する)をすることになったのですが・・・
なんと、それが悪性だったことが判明したのでした。
「乳房温存療法」で10日で退院
こうして、倍賞さんは、ある大学病院を紹介してもらって入院し、「乳房温存療法」という、乳房の一部を切開して、がん細胞を取り出す手術を受けられるのですが、手術はあっという間に終わったそうで、
10日で退院されると、その後、「放射線治療」を受けられたのだそうです。
(「ホルモン療法」「抗ガン剤治療」はされていないとのこと)
手術台の上で泣きながら「下町の太陽」を歌っていた
ちなみに、倍賞さんは、手術を受ける際、ご家族に「バイバイ」と言って手術室に入ると、看護師さんから、「何か音楽でもかけましょうか」と聞かれたため、「クラシックでも」とお願いされたそうですが、
そこへ、男性の医師が入って来て、
どうですか?
と、声をかけられたので、
倍賞さんは、
大丈夫ですよ
と、答えると、
医師の一人が、
ぼく、倍賞さんの歌、好きでねぇ
と、言ったそうで、
倍賞さんは、
じゃあ、歌いましょうか
と、手術台の上で、看護師の手を握りながら「下町の太陽」を歌われたのだとか。
すると、歌っている最中、突然、不安になって、ボロボロと涙が出てきたそうですが、やがて、麻酔が効いて意識が朦朧(もうろう)としてきたそうで、気がついた時には、手術は終わっていたとのことでした。
「鳥越俊太郎の遺言~ガンと共に生きる~」で乳ガン体験を告白
ところで、倍賞さんは、しばらくの間、ガンのことは公表されていなかったのですが、2005年頃から、ピンクリボン活動やシンポジウムへの参加などで語るようになると、
その後、山田邦子さんとスター混声合唱団を立ち上げようとした際、山田さんも同じ「乳ガン」になってしまい、山田さんからいろいろと相談を受けたことで、「乳ガン検診の早期検診」の重要性を認識したそうで、
このことがきっかけとなり、ガンの啓蒙(けいもう)活動に取り組み始め、2008年には、テレビ番組「鳥越俊太郎の遺言~ガンと共に生きる~」で、初めて、メディアでガン体験を告白されたそうです。
(倍賞さんの両親と祖母もガン体験者であるほか、映画「男はつらいよ」の共演者の渥美清さんや太宰久雄さんもガンで死去されていることも、ガンの啓蒙活動に取り組むきっかけとなったそうです)
さて、いかがでしたしょうか。
倍賞さんの、
- 年齢は?出身は?身長は?本名は?
- 妹は女優の倍賞美津子
- 弟は日産自動車硬式野球部元監督の倍賞明
- 両親
- 疎開先で自然の暮らし
- 幼少期から歌が上手だった
- 「みすず児童合唱団」で童謡歌手として活動
- 妹・倍賞美津子と歌の個人レッスンを受ける
- 「松竹歌劇団(SKD)付属松竹音楽舞踊学校」に入学
- 「松竹歌劇団(SKD)」に13期生として入団
- 「松竹歌劇団(SKD)」では厳しい規則
- 「松竹」にスカウトされて映画デビュー
- 映画女優は嫌々だった
- 「松竹歌劇団(SKD)」を退団
- 「下町の太陽」で主演&歌手デビュー
- 「男はつらいよ」のさくら役でブレイク
- 「フーテンの寅」と「見送るさくら」の銅像が建てられる
- 山田洋次監督映画に60本以上も主役またはマドンナ役で出演
- 出演作品(テレビドラマ)
- 出演作品(映画)
- 渥美清との出会い
- スタジオジブリ作品「ハウルの動く城」で声優も
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- 俳優・小宮健吾と婚約!馴れ初めは?
- 小宮健吾と質素な結婚式
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- 小宮健吾との離婚理由
- 高倉健との交際が報道される
- 高倉健は倍賞千恵子との交際を否定
- 真相は?
- 倍賞千恵子が語った高倉健との思い出とは
- 作曲家・小六禮二郎と再婚
- 乳ガン
- 生検でガンが発覚
- 「乳房温存療法」で10日で退院
- 手術台の上で泣きながら「下町の太陽」を歌っていた
- 「鳥越俊太郎の遺言~ガンと共に生きる~」で乳ガン体験を告白
について、まとめてみました。
実は、倍賞さんは、2008年頃には、「動脈瘤」の手術も受けられていたとのことで、お体の具合が心配されますが、無理をせず、末永いご活躍を期待したいものです。
「倍賞千恵子の妹は倍賞美津子!弟は日産自動車野球部の元監督!」