大阪市西成区岸里のアパート「明月荘」「ファニーズ」のメンバーと合宿生活を送りながら、本格的に音楽活動を始め、関西を中心に人気を博していた、沢田研二(さわだ けんじ)さんですが、内田裕也さんとの出会いによって、東京進出のチャンスをつかみます。

「沢田研二らファニーズのアパートは大阪西成区の薄汚れた木造2階建だった!」からの続き

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「ザ・スパイダース」の田辺昭知に誘われるも、その後は進展せず

本格的に音楽活動をするため、大阪・西成区の薄汚れた木造2階建てのアパートで、メンバーたちと合宿生活を送るようになった沢田さんは、「ファニーズ」の人気が「ナンバ一番」でますます高まっていくと、やがて、東京進出を考え始めるようになったそうで、

合宿を始めて1ヶ月が過ぎた頃、沢田さんと森本さんは、東京銀座にあるライブハウス「ACB」に遊びに行ったそうです。

すると、そこで「ザ・スパイダース」の田辺昭知さんと出会ったそうで、田辺さんは、すでに「ファニーズ」を知っており、東京へ来るなら、「スパイダクション」(現在の「田辺エージェンシー」で、田辺さんら「ザ・スパイダース」のメンバーによって設立)に入るように勧めてくれたのだそうです。

実は、「ファニーズ」全員が「ザ・スパイダース」のファンクラブに入っているほどのファンだったことから、大阪に帰ってきた沢田さんと森本さんが、興奮しながらこの話をメンバーに伝えると、メンバーは大喜び。

ただ、その後、田辺さんからは音沙汰がなく、たまらず、沢田さんと森本さんは再び上京。直接、田辺さんに面会したそうですが、田辺さんの反応は冷淡だったそうで、その後、話は進展することなく、お流れとなってしまったのでした。

内田裕也との出会い

そんな中、沢田さんたちは(森本さん以外)、1966年6月、「武道館」で行われた「ビートルズ」の日本公演を見ると、ますます、東京に進出したいと思うようになったそうで、

演奏にも磨きをかけると、8月には、「ナンバ一番」で、「ファニーズショー」が3日間開催されるなど、「ファニーズ」「ナンバ一番」での人気は不動のものとなります。

すると、「ナンバ一番」で共演した「ブルージーンズ」内田裕也さんに、

東京に来る気があるか

と、声をかけられます。

内田裕也の紹介による「渡辺プロダクション」のオーディションに合格

しかし、またしても、その後は具体的な話にならなかったため、居ても立っても居られなくなった、リーダーの瞳みのるさんは、それから3ヶ月後の同年9月12日、宣伝材料を携え、単身上京。

すると、9月14日、内田さんから宿舎ホテルに呼ばれ、内田さんのバンド「ブルージーンズ」が所属していた「渡辺プロダクション」を紹介してもらうことになったそうで、

10月9日、「ナンバ一番」で、内田さん、尾藤イサオさん、チャーリー石黒さん、「渡辺プロダクション」の松下治夫氏、中井猛氏など、錚々(そうそう)たる音楽関係者が審査員をする「渡辺プロダクション」のオーディションを受けると、沢田さん達は、緊張して何度か曲をやり直すも、見事合格。

10月29日には、「ナンバ一番」で、「ファニーズさよなら公演」を開いていもらい、11月3日には、京都の植物園でファンとのお別れパーティーをすると、これを最後に、関西での活動を終え、

11月9日には、京都駅でファンに見送られながら、「ビートルズ」のマネをした舞台衣装を着て、それぞれの思いを胸に、午後1時18分、京都発の新幹線に乗り込んだのでした。

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「ビートルズ」の初来日公演に衝撃を受ける

ところで、内田裕也さんに声をかけられた1966年6月といえば、「ビートルズ」が初の来日公演を果たした時期でもあるのですが、

沢田さんは、「ファニーズ」のファンクラブの人から、「絶対見た方がいいよ」と、チケットをもらい、「ビートルズ」の来日公演を東京・日本武道館へ観に行かれたそうです。

すると、

もう、びっくりしましたよ。周りの女の子の歓声がすごくて音が聞こえないんだから。うるさいから耳をふさぐとさらに音が聞こえない。

何なの、これ。なんでこうなれるのっていう感じ。ほとんど「ポール!」「ジョン!」という声ばっかりだったから、僕は「ジョージ!」って叫びましたけどね。

と、まず、ファンの女性たちの声援に驚かれたそうですが、

1曲目の「ロック・アンド・ロール・ミュージック」が始まると、レコードで聴くよりテンポが遅いと感じるも、ものすごいものを見たと感じたそうで、

こんなものにはなれない

としか、思えなかったほどの衝撃を受けたそうです。

ただ、

ビートルズだってデビュー当初、専門家や同業者はだれも成功するとは思っていなかった。だから、僕らもまったく可能性がないわけじゃない、「スパイダースには勝てるかもしれない」。

と、メンバー内で話したそうで、「ビートルズ」に強く触発され、ますます、東京を意識するようになったのだそうです。

「沢田研二は昔タイガースでシーサイド・バウンドが大ヒットしていた!」に続く

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