数多くのバラエティ番組に出演し、日本ではその名を知らない人がいないほど、お笑い界のスターとして揺るがぬ地位を築いている、明石家さんま(あかしや さんま)さんですが、プライベートでは、女優の大竹しのぶさんと結婚されていたことがありました。今回は、そんなさんまさんと大竹さんの馴れ初めについてご紹介します。
「明石家さんまと木村拓哉の仲の良さはドラマ初共演から!」からの続き
大竹しのぶとの馴れ初めは?
さんまさんは、1988年9月、女優の大竹しのぶさんと、テレビドラマ「男女7人夏物語」での共演をきっかけに、交際し、結婚に至っています。
実は、大竹さんは、さんまさんとの結婚前、テレビディレクターの服部晴治さんと結婚し、2年後には男の子を出産していたのですが、服部さんは1987年に他界。その後、大竹さんは、シングルマザーとして息子さんを育てられていたのですが、
大竹さんによると、そん中、支えてくれたのが、「男女7人夏物語」で共演した、さんまさんだったそうで、その頃はまだ友人関係だったそうですが、
夜眠れない時に、いつも必ず電話の相手をしてくれた。2時でも3時でも4時でも。
と、明かされています。
ただ、当時のさんまさんは、「日本一モテる男」と言われるほどの人気者だったため、普通に恋愛(交際)ができなかったそうで、
結婚しないと恋愛ができない状態だったので、しちゃった
と、人前に一緒に出るには「結婚するしかない」と考え、結婚を決めたとのことでした。
「男女7人夏物語」より。大竹しのぶさんとさんまさん。
大竹しのぶの亡き夫から託されていた?
ちなみに、さんまさんと大竹さんの元夫・服部さんは、もともと、一緒にテニスをするなどの交流があり、
服部さんは、亡くなる前、
自分が体調が悪く遊べない分、しのぶのことをどうぞよろしくお願いします
という手紙を、さんまさんに渡されていたそうなので、
そういう意味でも、さんまさんは、大竹さんのことを気にかけていたのかもしれません。
大竹しのぶ側は「男女7人夏物語」でのさんまとの共演を断っていた
ところで、「男女7人夏物語」での、さんまさんと大竹さんの共演は、すんなり実現した訳ではなかったそうです。
「男女7人夏物語」で監督を務められた生野慈朗さん、情報番組のレポーター・小川みどりさん、アシスタントプロデューサー(当時)の沼田通嗣さんの3人の対談によると、
生野さんがある時、東京・赤坂周辺を歩いていると、プロデューサーの武敬子さんから声をかけられ、
(脚本家の)鎌田(敏夫)先生を押さえたから、アンタ、撮ってよ
と、テレビドラマ「男女7人夏物語」の監督を頼まれたそうで、
その後、鎌田さんに会うと、その時点で、主役はさんまさん、相手役は大竹しのぶさんというキャスティングが、すでに決定していたのですが・・・
大竹さんの事務所からは、
お笑いの人が主役の作品には出せない
と、なかなかOKの返事はもらえず、かといって、鎌田さんとしては、さんまさんの相手役は大竹さんしか考えられなかったそうで、
最終的には、
主役はお笑いの人でもいいけれど、鎌田先生が私を主役として書いてくれるなら
と、大竹さんが言い、さんまさんとの共演がOKとなったのだそうです。
ちなみに、生野さんは、その後、メインキャストが集まって、初めて立ち稽古をやった際、さんまさんと大竹さんの掛け合いのリズム感が抜群で、息のピッタリあった演技を見て、大きな手応えを感じられたそうです。
「明石家さんまと大竹しのぶの「男女7人夏物語」でのエピソードは?」に続く