1970年、ロンドンへ愛の逃避行の末、平幹二朗さんと結婚し、1974年には男の子と女の子の双子を出産するも、出産後まもなく、仮面夫婦化したと噂され、1984年には離婚された、佐久間良子(さくま よしこ)さんですが、後年、本当の離婚理由について言及されています。
「佐久間良子と平幹二朗はロンドンに逃避行した末に結婚していた!」からの続き
「私の履歴書」で本当の離婚理由に言及
1984年には、夫婦揃っての記者会見を開き、円満離婚を強調するも、平さんから求められた握手を拒否するシーンもあり、明らかに円満離婚ではない現実を露呈してしまった佐久間さんでしたが、
2012年には、「日本経済新聞」の「私の履歴書」で、離婚理由について言及しています。
その内容とは、
夫婦となるとこちらが見たくないものまで見えてしまう。相手を十分に見極める時間が少なかったせいもあるだろう。「結婚してから初めて分かった」ということも少なくはなかった(2月19日付)
平さんとの意識のズレは、子どもができてから一気に広がっていったような気がする(2月20日付)
夫婦の会話は途絶え、すれ違いの生活が続いていた(2月21日付)
と、いうもので、
別のインタビューでは、
平さんとの離婚は、お互いの演技に口を出してしまったことも原因のひとつでした。俳優は役作りの中で同業者から何か言われたらトラブルになる。身内だからこそ気に障り、もやもやとした気持ちが鬱積していくのです。
とも、明かされているのです。
平幹二朗は同性愛者だった?
とはいえ、佐久間さんは、肝心の「結婚してから初めて分かった」ことについては、「私の履歴書」の中では明かされておらず、不明なまま。
ちなみに、「NEWS ポストセブン」によると、1984年、佐久間さんと平さんの離婚会見の現場にいた芸能レポーター・須藤甚一郎氏は、
平さんは当時、男性の噂が出ていて、佐久間さんのほうもテレビディレクターとの不倫が噂になっていた。それで会見で「平さん佐久間さんともに、男性関係の噂がありますね?」という質問が飛んだんです。
平さんが「それは私が答えるより、佐久間に答えてもらいましょう」と振ると、佐久間さんがにっこり笑って「そんなことありませんよ」と。会場内が大爆笑になりました。結婚して分かったことというのは、それに類することではないかと思いますね
と、語っており、「結婚してから初めて分かった」こととは、「平さんが同性愛者だった」こととしています。
(平さん自身がカミングアウトしているわけではなく、真偽は不明です。)
平幹二朗のコメント
また、平さんはというと、14年に及んだ結婚生活について、
子供が生まれた後、離婚までの10年間は私が演劇の仕事に夢中になり自己中心的で家族への心づかいが不足して、佐久間さんと子供達を幸せに出来なかったと申し訳なく思っています。
そうした時期、女優業を立派に果たしながら2人の子供をきちんと育てて下さった佐久間良子さんに深く感謝しています
と、紳士的に語っているだけで、やはり、真相は分かりません。
平幹二朗とは離婚後も舞台「鹿鳴館」で共演
そんな佐久間さんと平さんは、離婚後、プライベートでのお付き合いはなかったものの、2002年と2004年には、舞台「鹿鳴館」で共演されているのですが、
佐久間さんは、
普通なら前の夫と仕事をするのは嫌かもしれませんが、私は役者として平さんを尊敬していたので、「相手に不足はない」とお引き受けしました。女優として俳優・平幹二朗に挑戦したいという気持ちでした
と、その理由を語っておられます。
「佐久間良子が急死した元夫・平幹二朗への想いをコメント!」に続く
2002年「鹿鳴館」の舞台挨拶より。(左から)平岳大さん。佐久間さん。平幹二朗さん。