10歳の時に両親が離婚し、母親の佐久間良子さんに引き取られたことから、長い年月、父親の平幹二朗さんとは離れて暮らした、平岳大(ひら たけひろ)さんですが、同じ俳優の道を歩むことになってからは、濃密な時間を過ごされます。
「平岳大のデビュー舞台「鹿鳴館」では佐久間良子が激怒していた!」
父親・平幹二朗のシェイクスピア劇で修行
俳優として脂の乗った今では、両親との共演で俳優デビューを果たした、舞台「鹿鳴館」について、
もうちょっと自分が実績を積み、実力をつけてから両親と共演してみたかったという思いはあります。自分がやらせていただいてこんなことを言うのもおかしいですが、僕は本物の親子が役の上でも親子を演じることがいいことだったのかは、いまだにわからないんです。
でも、あのときよりもっと僕が力をつけてから共演できたなら、もっと面白い作品になったかもしれない、と思うことがあります
と、語っておられる平さんですが、
舞台「鹿鳴館」で俳優デビューを果たした後は、お父さんの平幹二朗さんが出演されているシェイクスピア劇に参加し、一緒に8ヶ月ほど、新劇のベテランたちに囲まれて、地方の劇場を転々としたそうで、
そこから、僕の俳優修業が始まったようなものでした。とてもつらかったけど、すごく勉強させていただきました
と、お芝居を通して、これまでお父さんに会えなかった時間を埋めるかのように、濃密な時間を過ごされたそうです。
(この頃はまだ、舞台の発声もままならなず、ずっとのどをつぶしている状態だったそうです)
そして、その後も、お父さんの舞台「オセロー」「リア王」に出演させてもらって芝居作りを学んだそうで、お父さんのもとで俳優修業を積まれたのでした。
父親・平幹二朗とはプライベートでも仲が良かった
また、平さんは、お父さんと、よく、自宅近所で一緒に食事をされていたそうで(近所の人にたびたびその姿が目撃されています)、
プライベートでもお父さんと一緒に過ごすことで、お父さんの生き方や考え方などを吸収し、役者にとって大切なことを学ばれていたのかもしれません。
平幹二朗の息子・平岳大への想い
ちなみに、お父さんの幹二朗さんはというと、平さんとの親子対談で、
長期公演も自力で乗り越えるしかないから僕は見守るだけ。古典芸能なら、家の芸とか心構えを伝えられるけど、現代劇は確立された技術的なメソッドはないから、俳優本人の生き方とかその情熱を伝えるぐらいしかできない。
僕は演ずることしか才能のない役者バカタイプ、岳(平さん)はコンピューターも語学もできるから、まったく違う俳優になってほしい。僕から学んでほしいものは何もない。ただ、芝居に生きようとする情熱だけは認めてもらえると嬉しいけど(笑)。
と、やさしいお父さんの眼差しで語っておられるほか、
物を大事にしない僕が唯一、大切にしているもの
と、バッグから、10~20代の平さんと平さんの妹さんからもらった手紙の山を見せ、平さんを驚かせるなど、そのまなざしは、どこまでもやさしいお父さんでした。
「平岳大は父親・平幹二朗が死去する前日に会っていた!」に続く