4~5歳から「偽善」について考え始めるなど、この頃、精神年齢がピークを迎えていたというタモリさんは、その後、小学校に入学すると、頭の回転の良さを発揮するのですが・・・右目を失明するという悲劇に見舞われます。
「タモリの幼少期が凄すぎる!偽善を感じ幼稚園を拒否していた?」からの続き
タモリは小学校時代に学級委員長で人前に出ることの快感を覚えていた
「ギンギンギラギラ夕日が沈む」に「偽善」を感じ、幼稚園の入園を拒否したことから、一人で過ごすこととなったタモリさんですが、
6歳になると、小学校に入学し、暇から解放されたことがうれしく、これまで一人ぼっちで遊んでいた反動から、同級生に教わりながら、子どもっぽい遊びをたくさんしたそうです。
また、タモリさんは、当時、(叔母さんによると)「一休さん」のトンチ話をするのがうまかったほか、音楽も好きで、お姉さんのピアノに合わせて、よく童謡を歌っていたそうです。
その一方で、小学2年生の時に学級委員長を務めると、伝達事項を自分から黒板に書いて伝えたところ、先生から好評を博し、人前で何かやることの快感を覚えそうで、
タモリさんは、後に、
ぼくにとっての初舞台は教壇であった
と、語っておられます。
タモリは小学校時代はラジオ番組「北京放送」が好きだった
そんな、頭のよく切れる少年だったタモリさんは、小学校時代、夜8時からは、ラジオ番組「浪曲天狗道場」、夜9時からは、「NHKニュース」の解説を聴きながら眠りにつくのが日課だったそうで、
そのほかにも、意味が分からないのが心地良かったことから、「気象通報」、「FEN」(現在の「AFN」で米軍放送網のこと)、中国の「北京放送」をよく聴いていたそうです。
(特に、「北京放送」は、後のタモリさんのネタである「7カ国語でバスガイド」など、外国語のモノマネにつながったそうです)
また、ラジオドラマも好きだったそうで、
とくにあの暗い奴がいいですね(笑)。妙にマがあいたりなんかして
と、よくモノマネをしていたのだそうです。
タモリがサングラスをかけている理由は小学4年生の時の右目の失明
しかし、タモリさんが小学4年生の1学期の時、社会科見学で東公園を訪れた際(小学3年生の時に下校途中という説もあり)、電柱のワイヤに顔をぶつけて、針金の結び目が右目に突き刺さってしまったそうで、
すぐに担任の先生に眼科に連れて行かれるも、その場で、「完全に失明」と診断されてしまい、2ヶ月間、学校を休んで治療したそうですが、ついに、視力が戻ることはなかったのだそうです。
(台風で切れた電線をのぞきこんでいた時に、電線が目に刺さってしまったという説も)
タモリは小学生の時に親友に裏切られ、世の中を恨むようになっていた
さらに、小学4年生の時には、(理由は不明ですが)学年のボスに反抗したことから、10人くらいに囲まれ殴られたことがあったそうですが、
なんと、自分が親友だと思っていた男が密通していたことを、後で知ったそうで、
タモリさんは、後に、
あれからだよ、世の中を恨むようになったのは
と、語っておられました。
(それ以来、また、友達がいなくなってしまったそうです)
こうして、失明に加え、親友に裏切られたことなどから、一時期は、相当、塞ぎ込んだそうですが、やがて、人を笑わせることに興味を持ち始めると、小学校の卒業式では、漫才を披露するまでに回復したのだそうです。