2010年には、妻・松本友里さんが自ら命を絶ってしまい、葬儀・告別式では悲痛な表情を見せていた、松平健(まつだいら けん)さんですが、その後、残された息子さんの育児に奮闘する姿が週刊誌で報じられます。
「松平健の元嫁(2番目の妻)松本友里の自殺原因とは?」からの続き
豪邸を売却
2005年に松本友里さんと再婚すると、2009年には東京・目黒区に豪邸を建てられた松平さんですが、2010年、友里さんがその自宅で自殺という形で他界されたことから、2012年には自宅を売却されたそうで、
某芸能関係者によると、
松平さんがホッとしているのは、自宅が今年1月に売れたからでしょうね。まだ築3年しか経っていない3億円の豪邸でしたが、”事故物件”ということでなかなか買い手がつかず、最終的には約3割引の2億円くらいでしか買い手がつかなかったんです。
それでも「あの子(長男=健太くん)の悲しい思い出を少しでも減らしてあげたい」と激安でも快諾したと聞いています。
とのこと。
また、2011年3月には、息子・健太くんの通う有名私立幼稚園から、子どもの足でも徒歩で通える場所にある、家賃65万円のマンションに引っ越されていたとのことですが、
別の芸能関係者によると、
今では息子さんも、いろいろ理解できる年になりました。自宅売却が終わり、友里さんのことに区切りがついたので、最近、息子さんにママの死を松平さんの口からきちんと伝えたようです。
毎月の月命日には、2人でお墓参りをするようにもなったといいます。
とのことでした。
息子の育児に奮闘
そんな松平さんは、友里さんを失った悲しみに耐えながらも、健太くんの育児に奮闘されているそうで、2014年には、健太くんが幼稚園に通い始めてから、(仕事で東京を離れているとき以外は)毎朝6時か6時半に起きて、お弁当を作られていることが週刊誌「女性自身」により報じられています。
「女性自身」によると、松平さんは、健太くんに朝食を食べさせた後、学校へ送っていき、時間がある時は迎えに行くほか、(時には友人たちとお酒を飲むことはあるものの)健太くんが寝る前には、必ず帰るようにするなど、健太くんとの時間を作られているそうで、
家事、子育ては、できる限り自身でするようにし、どうしても必要な時だけ、お手伝いさんに来てもらうようにしたりされているそうですが、
そんな松平さんを支えているのは、
帰って、こちらから「今日はどうしていたの?」と聞くと、息子はその日の出来事を事細かに話してくれる。彼は、私といるときは常にそばに寄り添う感じで、いまだに寝るときは甘えてきます。そして、一緒に寝るとすぐに安心して眠りにつく。
息子の寝顔を見ていると”親子の絆”を強く感じますね。いまの私を支えてくれているのが息子の存在です。今年(2014年)の10月で8歳になる彼が成人式を迎えるまで12年。そのとき私は73歳になりますが、それまで頑張ろうと固く心に誓っています
と、ほかならぬ、健太くんの存在のようです。
手作り弁当(キャラ弁)
また、以前は、「僕のお母さまは?」と母親のことをよく口にしていた健太くんも、最近は、「お母さまは星になったんだよ」との松平さんの返答に対し、何も言わなくなり、毎朝お仏壇に手を合わせているとのことですが、
自分に対して、一生懸命なお父さんに対し、健太くんも子供心に何かを感じているのかもしれません。
ちなみに、以前、松平さんは、テレビ番組で手作り弁当(キャラ弁)を披露されているのですが、もちろん、そのお弁当には健太くんへの愛情が溢れていました♪
松平さん手作りのキャラ弁。
(※キャラ弁とはキャラクター弁当の略で、キティちゃん等の顔などを模した弁当)
60代半ばを超えても子育て継続中
そして、松平さんは、2019年(松平さん66歳)のインタビューでも、
役者の仕事は朝まで飲んで、昼ごろから撮影が始まると思っている方もいるかもしれませんが、暴れん坊将軍はロケが多く、いったん撮影が始まれば朝7時集合というのが多かった。どんなに前日に大酒を飲んでも、朝6時には撮影所の楽屋に入って衣装に着替えなくてはいけません。
ですから、起きるのは朝5時半くらい。今も息子(今春から中学)に合わせて6時には起きていますから、起床時刻に関しては若い頃とあまり変わっていませんね
と、語っておられ、60代半ばを超えてもまだまだ育児に奮闘されているようです♪