1981年、「北の国から」が大ヒットすると、その後も、「優しい時間」(2005)、「拝啓、父上様」(2007)など、家族の絆を描いた作品を数多く発表されている、倉本聰(くらもと そう)さんですが、そこには、セリフに対する強い思い入れがあるといいます。

「倉本聰のデビューからの脚本ドラマ映画を画像で!」からの続き

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「一言一句変えてはならない」が不文律?

倉本さんは、業界内で、

倉本脚本は一言一句変えてはならない

という不文律があると言われているのですが、

それは、倉本さんが、ある時、若い俳優に、

一言一句変えないでくれ

と、つい言ってしまったことから、そういう話が広まってしまったそうで、

倉本さんとしては、

何の脈絡もなく語尾を変えるのはいい加減にして欲しいとその若い役者さんに言ったつもりだったんですが。誤解していただきたくないのは、若いからダメ、ではない。

ニノ(二宮和也さん)なんかには自由に変えてくれって言ってますしね。ただし、俺のホン以上に変えてくれとは付け加えます。俺が正しいのか、おまえが正しいのか、勝負しているわけですから

と、必ずしも、文字通り、「一言一句変えてはならない」訳ではないと、その真意を語っておられます。

また、倉本さんは、著書「ドラマへの遺言」(プロデューサー・碓井広義さんとの共著)の中でも、

語尾を勝手に変えられると人格が変わってしまうんですよ。たとえば、高倉健さんに関するインタビューを僕が受けた際、“健さんはすてきな人ですよ。シャイなんだけれども、なんとかなんじゃないでしょうか”っていう答え方をしたとするでしょう。

それを新聞記者が“高倉健はすてきな人だ。シャイだがなんとかだ”と断定的な言い切りで記事にしてしまうと、読者にはあたかも僕が上から目線で傲慢な言い方をしたように見えるわけです。

会話ってのはそういうもの。シナリオは必要最低限の情報を伝える新聞記事とは違います

と、説明されています。


ドラマへの遺言

二宮和也を絶賛する理由とは

ちなみに、この二宮和也さん、倉本さんの、「優しい時間」(2005年)と「拝啓、父上様」(2007年)の2作品に出演されているのですが、

倉本さんは、

僕はニノ(二宮和也さん)っていう役者をそれまで全然知らなくて。(「優しい時間」の際に)フジテレビが連れてきたんですけど、これはいいと思いましたね。

繊細さですね。たとえば父親の働いている姿を木の陰からそうっと見てるシーンがあったでしょう?

あそこは、映画「エデンの東」のジェームズ・ディーンが、実の母親をこっそり見に行ったところがヒントです。そんな雰囲気、気持ちの複雑さみたいなものをニノはとてもよく出していたと思う

と、二宮さんの表現力を高く評価するとともに、

(2005年当時、二宮さんはトップアイドルの地位は確立していたものの、俳優としての評価はまだ定まっていませんでした)

あの頃になるとテレビ局が押さえてくるのはタレントだったり歌手だったり、極端に言ったらスポーツ選手まで連れて来ちゃったでしょう? 有名ならいいっていう感じで。だからそれに関しては一種の諦めがあったんです。

ただ、ニノに会ってみて、この子はちゃんとしてるなって思いました。あいつは物おじしないんですよ。僕のことを“聰ちゃん!”って呼ぶしね。クリント・イーストウッドにも使われてた。(2006年のアメリカ映画「硫黄島の手紙」)

あいつ、イーストウッドのことを“クリントは……”って言うんですよ。生意気なんだけど、失礼な感じにならない。ナイーブさも持ってるし、あの子の才能ですね

と、人の懐にさらっと飛び込むことができる、二宮さんならではの才能も絶賛されています。


「優しい時間」より。もう一人の主人公・湧井拓郎に扮する二宮和也さん。


「拝啓、父上様」より。主人公・田原一平に扮する二宮和也さん。

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寺尾聰を使わなくなった理由とは

そんな倉本さんは、ドラマ制作において、撮影の前に出演者を集め、初めから終わりまで脚本の読みあわせをする「本読み」に積極的に参加されており、

(一般的には脚本家はあまり参加しないそうです)

前出のプロデューサー・碓井広義さんも、

書いた言葉が役者さんに通じているか。表現のニュアンスの違いや要望を、倉本先生は直接役者さんに伝えます。これが世にいう“倉本聰の本読み”。

その姿を見て、脚本がドラマの生命線なんだと改めて学びました。制作陣と役者に対する厳しい姿勢の根底にあるのは、いいドラマを作りたいという思いです

と、その真意を理解されているのですが、

逆にそれを理解できない人間とは仕事がしたくないと、倉本さんははっきり語っています。

その一人が、寺尾聰さんだそうで、富良野を舞台に父と息子の絆の断絶と再生を描いたテレビドラマ「優しい時間」の最終回、父親と息子が和解する重要なシーンがあるのですが、

父親(寺尾聰さん)が息子(二宮和也さん)に出会った際、

よう!

と、言うセリフを、

寺尾さんは、勝手に、

やあ

と、変えてしまったというのです。

というのも、この「よう!」という言葉は、倉本さんが、1970年代、旧知の歌手、ディック・ミネさんが、30年間会っていなかった息子さんと再会する場面を目の当たりにしたときに、実際にディック・ミネさんが息子さんに交わした言葉で、

その後、二人が肩を組んだ姿が今でも忘れられず、どうしても使いたい思い入れのある言葉だったのでした。

そんなことから、倉本さんは、

あれ以降、僕は寺尾を使いません

と、寺尾さんを起用しなくなったのだそうです。

「倉本聰は「やすらぎの刻~道」の脚本5,500枚を撮影前に完成させていた!」に続く

「優しい時間」最終回より。

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