水原弘さんの付き人として芸能界に入ると、やがて、大手芸能プロダクション「渡辺プロダクション」の渡辺晋社長に見込まれて、渡辺社長の隠密として働きつつ、俳優、タレントとしても、才能も開花した、なべおさみさんですが、公私ともに順調だった1991年、「明治大学替え玉事件」を起こしてしまいます。
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「明治大学替え玉受験」の真相
なべさんは、1991年、長男(タレントのなべやかんさん=当時は一般人)のため、知人を通じて、明治大学に替え玉受験させたことが報じられているのですが、
なべさんはこの報道を受け、記者会見を開くと、まずは、長男が、大学まで一貫の成城学園に初等科から入学させたにもかかわらず、高校3年時に留年すると、その後も成績不振が続いて成城大学への内部進学も叶わず、さらには、他大学への受験も2浪しても合格できないという状態に悩んでいたことを明かし、
そんな中、1990年の暮れ、新宿コマ劇場の楽屋にいたなべさんのもとに一人の紳士が訪ねてきて、その紳士とは初対面だったにもかかわらず、同じ明治大学のOBということですぐに意気投合。世間話の流れで、つい、長男について悩んでいることをぽろりと口にしてしまうと、
その紳士が、
推薦枠があるから明治に入れるよ
と、思いもよらず、言ってくれたことから、
ぜひお願いします!
と、この申し出に飛びつくと、
年明け、その紳士から、
推薦だからどこの学部にするかは、こちらに任せて欲しい。全学部の願書と受験料を用意して欲しい
と、連絡があり、
言われた通り、受験書類と受験料の合計18万円を渡すと、ほどなくして、明治大学第二商学部の合格通知が届いたと、説明されたのでした。
不正行為を認めるも「替え玉受験」は否定
しかし、この記者会見は、初対面なのに裏口入学の斡旋(あっせん)をする紳士がいるなんておかしいと、マスコミから集中砲火を受けたことから、
なべさんは、すぐに釈明会見を開くと、
紳士は古くからの知人だったことを明かし、
僕のために善意で動いてくれたんだと思います
と、不正だったことを認め、涙ながらに謝罪。
そして、
世間知らずと云われるかもしれないが、世の中にはそういう話(推薦入学の話)が有るのかな、と思った
と、あくまで、「推薦入学」と信じていて、「替え玉受験」だとは知らなかったと説明されたのでした。
金銭授受を否定するもイメージダウンで芸能界を干される
また、なべさんは、この「替え玉受験」に伴い、金銭の授受があったのでは、との疑惑についても否定されているのですが、
この一件をきっかけに、明治大学に警察の本格的な捜査が入ると、その結果、1984~1990年、20人以上が組織的な替え玉受験で合格していたことが発覚し、不正行為に関与したとして、元相撲部監督、大学事務職員、体育関係者など、複数が逮捕。
裁判では、逮捕された関係者が、仲介者を通して、替え玉受験の依頼者から多額の現金を受け取っていたことが判明したことから(このうち、元相撲部監督らが実刑判決を受けたそうです)、
なべさんは、激しいバッシングを浴びて、これまでのイメージが一変。司会を務めていた「ルックルックこんにちは」を降板させられると、芸能界自体からも敬遠されることとなり、芸能活動を自粛。表舞台から、姿を消したのでした。
(なべさんは、常日頃から、ワイドショーなどで教育評論家のような発言を繰り返していたため、世間からのなべさんへのバッシングは相当なものだったそうです)
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