1969年にレコードデビューして以来、50年以上にわたり、歌手、俳優として活動されている、上條恒彦(かみじょう つねひこ)さん。今回は、そんな上條さんの結婚や田舎暮らしについてご紹介します。
「上條恒彦のデビューからの出演映画ドラマ舞台を画像で!」からの続き
結婚&離婚
上條さんは、1968年に一般女性と結婚し、2人の男の子が誕生しているのですが、1979年頃には離婚。
離婚の理由は不明ですが、離婚後、上條さんは、2人の子供を引き取るも、酒浸りの日々を送っていたそうなので、相当ショックなことがあったのかもしれません。
現在の妻は付き人だった16歳年下女性
そんな上條さんですが、1983年には、上條さんの付き人をしていた、16歳年下の悦子さんという方と再婚。
上條さんが、舞台「屋根の上のヴァイオリン弾き」で主演を務められていた時、当時、女優の卵だった悦子さんが、急遽、付き人となったことがきっかけで知り合われたそうですが、
悦子さんは、その時の上條さんのことを、
お酒のボトルが歩いているようだった
と、明かされているので、
酒浸りの日々を送る上條さんを放っておけなくなったのかもしれませんね♪
上條さんと妻・悦子さん。
長野県諏訪郡富士見町で田舎暮らし
そんなお二人は、結婚後は、奥さんが、小説「赤毛のアン」の世界に憧れ、「自然の中で子どもを育てたい」という気持ちになったことと、上條さん自身も、「都会ぐらしはもういいかな」と思われていたことから、1987年、甲斐駒ヶ岳の見える、長野県諏訪郡富士見町に移り住まれると、
翌年の1988年から畑を借り、いろいろな野菜を作るほか、犬を連れて周辺を散歩しながら、森の中に小さな見知らぬ花を見つけては、それを図鑑で確かめるなど、田舎暮らしを満喫されていたそうです。
ただ、畑は広く、農作業をすると、体がクタクタになることから、身体的には東京にいる時のほうが楽だったそうで、
実際、上條さんが舞台で東京にいる間、農作業を手伝いに来てくれていた小学校からの同級生は、若い頃は上條さんと同じくらいがっしりした体格だったのが、熱心に農業をやったせいで、今では体が縮んでしまっているそうで、農業がいかに過酷かを感じられているそうです。
また、若い頃は、田舎暮らしの醍醐味だと思っていた薪(まき)割りも、年をとるにつれ、「誰か代わってくれないかな」と思うようになったそうで、移り住んで30年以上経っても、田舎暮らしはなかなか大変なようです。
妻の手料理が「三鷹の森ジブリ美術館」のカフェ「麦わらぼうし」のメニューに
ところで、奥さんは、舞台で不在がちだった上條さんと息子さんたちをつなぐため、上條さんが作った畑の野菜をおいしく料理して食卓に載せ、お父さん(上條さん)のいる食卓を演出されていたそうですが、
そのアイディアが、宮崎駿監督の目に止まり、1999年、「三鷹の森ジブリ美術館」が開館する際には、カフェ「麦わらぼうし」のインテリアやメニューを任されたそうです。
ちなみに、これらのメニューは、料理本「八ヶ岳山麓 上條さんちのこどもごはん」として出版されています。
「上條恒彦の子供は6人で全員男子!末っ子は俳優の上條駿!」に続く