高校卒業後の1958年4月、18歳の時、家族の反対を押し切って上京して以来、50年以上に渡って、歌手に俳優にと活躍されてきた、上條恒彦(かみじょう つねひこ)さんですが、今回は視点を変えて、長男の恒さんから見た上條さんをご紹介します。
「上條恒彦の子供は6人で全員男子!末っ子は俳優の上條駿!」からの続き
長男・上條恒の年齢は?出身は?身長は?
まずは、上條恒彦さんの長男・上條恒(かみじょう こう)さんのご紹介から、
恒さんは、1967年1月31日生まれ、
東京都のご出身、
身長179センチ、
血液型はA型、
趣味は、
料理、ガーデニング、
特技は、
料理(蕎麦打ち、生パスタ、握り寿司、野菜作り)、
座右の銘は、
「愛の伝道師」だそうです。
上條恒彦は息子に黙って再婚していた
恒さんは、上條さんの最初の子供で、最初の妻との間に生まれているのですが、幼少期から、夏休みは毎年、農家で働かされるなど厳しくされたうえ、小学6年生の時には、両親が離婚。
その後は、弟と共にお父さん(上條さん)に引き取られるも、お父さん(上條さん)は酒浸りでかまってくれず、それでも、離婚は仕方がないと、寂しい思いを封印していたそうです。
そんな恒さんは、高校に進学するも、1年で中退し、ライブハウスでロックバンドのヴォーカルをしたり、運送屋でバイトをしていたそうですが、
今度は、17歳の時、お父さん(上條さん)が何の相談もなしに再婚したことから、これまで積もり積もっていたお父さん(上條さん)への不満が爆発。
再婚についてきちんと言ってもらえなかったことが腹立たしかった。けんかの理由は些細なことだったが、父への不満が爆発した
と、大ゲンカの末、家を飛び出したのでした。
長男・上條恒は上條恒彦の人脈で劇団「ふるさときゃらばん」に入団
ただ、家を飛び出したとはいえ、目標が定まらず、鬱々(うつうつ)とした毎日。そんな中、現状を打破しようと、21歳の時、ミュージシャンを目指し、アメリカ・ニューヨークに渡ったそうですが・・・
才能あふれる人たちがしのぎを削る様子を目の当たりにすると圧倒され、「自分のいる場所じゃない」と帰国。
結局、恒さんは、お父さん(上條さん)に頼り、
2世タレントとしてでいいからどこか紹介して
と、一世一代の決意で頼み込んだそうで、
その時は、
お前に紹介するところなんてない
と、断られるも、翌日、ミュージカル劇団「ふるさときゃらばん」を紹介してもらったのだそうです。
長男・上條恒がミュージカル劇団「三ツ星キッチン」を設立
こうして、劇団「ふるさときゃらばん」に入団した恒さんは、裏方からスタート。慣れない仕事に失敗の連続で、先輩から何度も「辞めろ」と言われたそうですが、しがみつき、それから1年半後、ようやく舞台に立たせてもらえるようになったそうで、
その後、10年間で1600回ものステージをこなすと、独立し、ミュージカル劇団「三ツ星キッチン」を設立。現在は、俳優のほか、脚本・演出もされているとのことでした。
長男・上條恒は上條恒彦の言葉に翻弄され続けていた
そんな恒さんは、
父はよく「自分が納得するまでやり続けなさい」と言っていた。辞めなかったのは、父の考え方が身についていたからだと思う
と、語っているのですが、
お父さん(上條さん)には、
(「恒」という名前が)恒彦と間違えて劇場に来た人が、お前を見てがっかりするかもしれないから名前を変えろ
と言われ、「上條コウ」と名乗ると、
数年後には、突然、今度は、
どうしてお前の恒はコウなんだ
と言われ、本名の「恒」に戻したことがあったほか、
ある時には、お父さん(上條さん)に、テレビ番組で、前妻の子どもである自分と弟を「失敗作」だと言われたこともあり、一時期、面と向かって話すことができなくなるほど、傷ついた時期もあったのだとか。
一方、お父さん(上條さん)は、結婚後に誕生した4人の弟たちには、別人のようにやさしく接しているそうで、そんなお父さん(上條さん)には、今でも違和感を感じているとのことでした。
舞台「しあわせのタネ」で初の親子共作
それでも、恒さんは、2014年、自身がプロデュースした舞台「しあわせのタネ」にお父さん(上條さん)が出演し、初の「親子共作」を果たすと、
長い芸歴のある父は、舞台にいるだけでものすごい存在感。圧倒されます
と、語るほか、
2016年には、初めてお父さん(上條さん)と長電話をして、愚痴の聞き役になったことを、
父ももう76歳(2016年時点)。そろそろ僕が助けてあげないといけませんね
と、明かされており、
お父さんに対しては様々な想いがあるものの、これまでずっとお父さんに助けられてきたことを感じておられるようでした。
さて、いかがでしたでしょうか。
上條さんの、
- 年齢は?出身は?身長は?本名は?
- 幼少期は虫を食べる程の貧乏だった
- 家族の反対を押し切り俳優を志して上京
- 舞台芸術学院に入学するも・・・
- 「歌声喫茶」のオーディションに合格
- 「食える」の一言で俳優から歌手へ転身
- 「六文銭」との「出発の歌(たびだちのうた)」がグランプリ受賞
- 時代劇「木枯し紋次郎」の主題歌「だれかが風の中で」がヒット
- 「だれかが風の中で」は小室等による抜擢だった
- 出演作品(映画)
- 出演作品(テレビドラマ)
- 出演作品(舞台・ミュージカル)
- 出演作品(声優)
- ミュージカル「ラ・マンチャの男」
- 結婚&離婚
- 現在の妻は付き人だった16歳年下女性
- 長野県諏訪郡富士見町で田舎暮らし
- 妻の手料理が「三鷹の森ジブリ美術館」のカフェ「麦わらぼうし」のメニューに
- 長男は俳優・脚本・演出家の上條恒
- 末っ子は俳優の上條駿
- 病気は咽頭部のポリープ
- 長男・上條恒の年齢は?出身は?身長は?
- 上條恒彦は息子に黙って再婚していた
- 長男・上條恒は上條恒彦の人脈で劇団「ふるさときゃらばん」に入団
- 長男・上條恒がミュージカル劇団「三ツ星キッチン」を設立
- 長男・上條恒は上條恒彦の言葉に翻弄され続けていた
- 舞台「しあわせのタネ」で初の親子共作
について、まとめてみました。
発言を聞いていると、「自分に(厳しいようで実は)甘く、人には厳しい」という言葉がピッタリに思えてしまう(笑)上條さんですが、それでも、長年のキャリアと経済力は、間違いなく上條さんの実力。長男の恒さんは少し可愛そうな気もしますが、是非ともお父さん(上條さん)超えを果たしてほしいものです♪
「上條恒彦は昔「食える」の一言で俳優から歌手に転身していた!」