1970~1980年代、生活のため、テレビドラマや時代劇で主に悪役として出演しつつ、舞台活動に魅せられていた、村井國男(むらい くにお)さんですが、1989年には、ブロードウェイミュージカル「レ・ミゼラブル」でジャベール役を演じミュージカル俳優としての地位を確立します。

「村井國夫の若い頃は串田和美らの「自由劇場」に参加していた!」からの続き

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「レ・ミゼラブル」のジャベール役を13年間演じる

舞台活動に魅せられるも、生活のため、映画やテレビドラマに出演していた村井さんですが、1987年には、俳優の細川俊之さんに、「レ・ミゼラブル」のオーディションを教えてもらい、歌の先生も紹介してもらうと、オーディションに向け、夜はレッスン、昼は仕事という毎日を送り、その甲斐あって、見事合格。

色々あって(村井さん談)初演からではなく、3年目の1989年から、ブロードウェイミュージカル「レ・ミゼラブル」で、主人公・ジャン・バルジャンを執拗に追う、冷酷な刑事・ジャベール役を演じられると、2001年まで13年で800回以上出演され、ミュージカル俳優としての地位を確立されています。

「レ・ミゼラブル」のジャベール役は3年目から演じていた

ちなみに、「色々あって」とは何があったのか不明ですが、初演では、鹿賀丈史さんと滝田栄さんがジャン・バルジャンとジャベールの両方を交代で演じており、その後、二人が主人公のジャン・バルジャン1本でということになったことから、ジャベール役が必要になったそうで、

村井さんが、

もう一回オーディションを受ける

と言うと、

演出家のジョン・ケアードさんが、

それなら村井でいい

と、言ってくれたそうで、

3年目の1989年から、村井さんがジャベール役を演じることになったのだそうです。

ちなみに、村井さんは、

ジョンはリアリティを大事にする演出家で、たとえば僕を真ん中に立たせ、共演者に囲ませて全員に質問をさせるんです。

その役の生まれ、兄弟、恋愛観、セックス観、どんな病気をして、今は誰と一緒にいるのか。いい加減でもなんでも答えないといけない。

それを一人ずつ全ての役者に徹底的にやらせる。そうすると、答えているうちに自分の中で役のイメージが出てきます。

多くのミュージカルでサイドストーリーをそこまで考えさせることはないのですが、そこまでやらないとリアリティはなかなか出てこないと思います。

と、ジョン・ケアードさんに深く共鳴されており、ジョン・ケアードさんもそんな村井さんに深い信頼を置かれていたのかもしれません。

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「蜘蛛女のキス」で「第47回文化庁芸術祭賞」を受賞

ミュージカル「レ・ミゼラブル」では、自分の内部まで深く見つめることで、リアリティを追求するお芝居をされてきた村井さんですが、

1991年、舞台「蜘蛛女のキス」で、ゲイの囚人・モリーナ役を演じた際には、どれほど深く自分の内面を見つめても、ゲイの部分が見つけられなかったそうで、

そこで、どうやって探しだそうかと、ゲイの真似をしても、演出家・ロバート・アラン・アッカーマンさんの厳しい目はごまかせず、

芝居はするな、存在しろ

と、強烈なダメ出し。

演じる人間の生い立ちや性格など、意識にないところから作り上げていかなければならない難しさに耐えきれず、とうとう、村井さんは、3日目には稽古場へ行かなくなったのだそうです。

しかし、最終的には、モリーナ役を演じきると、1992年には、見事、「第47回文化庁芸術祭賞」を受賞されています。

「村井國夫のデビューからの出演ドラマ映画を画像で!」に続く

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