「不二サッシ」の創業者の息子であるお父さんのもとに誕生し、お嬢様として大切に育てられるも、3歳でお父さんが他界すると、6歳で祖父母も相次いで他界し、その後は、お母さんに連れられて家を出て、お母さんと2人寄り添うように暮らしていた、藤田弓子(ふじた ゆみこ)さんですが、小学5年生の時、ラジオドラマ「赤銅鈴之助」の公募に応募すると、見事合格します。

「藤田弓子の生い立ちは?父親は不二サッシの創業者の息子でお嬢様育ちだった!」からの続き

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ラジオドラマ「赤胴鈴之助」のオーディションに一人で応募していた

東京・自由が丘にあった藤田の邸宅を出て、東京の下町・神田に移り住むと、母子家庭ながらも、お母さんと2人仲良く暮らしていた藤田さんは、お母さんに似て、好奇心旺盛な女の子として育ったそうで、

1956年12月18日、小学校5年生の時には、「少年画報」に連載中だった人気漫画「赤胴鈴之助」のラジオドラマが放送を開始するにあたり、出演する男の子と女の子を1人ずつ募集しているのを知ると、ラジオ局を見てみたいとの好奇心から、ハガキを買って来て、1人で応募したそうです。

そして、オーディションも1人で行くと、一次審査、二次審査と見事合格したそうで、いよいよ最終審査となった時、

次は最終審査ですから親を連れて来てください

と、言われたことから、

そこで、初めてお母さんにオーディションのことを報告したそうですが、好奇心旺盛なお母さんは、二つ返事で快諾してくれたのだそうです。

ラジオドラマ「赤胴鈴之助」のオーディションに合格

こうして、藤田さんは、最終審査を受けに行ったそうですが、そこには、とてもきれいでかわいい女の子がいたそうで(この女の子は吉永小百合さんだったそうです)、

お母さんと2人で、

1人しか選ばないんだから、これはもうダメね。帰りましょう

と、言って、帰ろうとしたそうですが、

ラジオ局の人が飛び出して来て、

弓子ちゃん、これはラジオですよ。ラジオ

と、ラジオだから顔が見えないからと、止められたそうで、吉永さんとともに、見事合格。

1957年1月6日から放送されたラジオドラマ「赤胴鈴之助」で声優デビューを果たしたのでした。

(ヒロイン・千葉さゆり役は吉永さん、藤田さんは、千葉さゆりの友達・しのぶ役だったそうです)


(左から)吉永小百合さん、藤田さん、古宮英昭さん。

ちなみに、藤田さんによると、藤田さんは、人見知りが激しく、おとなしい性格だったそうですが、学校の国語の授業で音読や発表をさせられた時には、誰よりもはっきりとした大きな声で読んでいたことから、学校でも上手だと評判だったそうで、そのスキルを評価されての合格だったのでは、とのことでした。

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女優になる気はなかった

以降、藤田さんは、放送が終了する1959年までの3年間、「赤胴鈴之助」に出演すると、その後は、同じスポンサーでテレビ放送が開始した「まぼろし探偵」にも出演されたそうですが、

(1957年10月2日からスタートした、「赤胴鈴之助」のテレビ放送版には出演されていないようです)


「まぼろし探偵」より。

ラジオのスタッフに、

将来どうするの?

と、聞かれた際には、

中学に行って高校に行きます

と、答えていたそうで、

3年間のラジオドラマの経験で、表現することのおもしろさは実感しつつも、高校を卒業した後も、普通に大学に進学することを考えていたそうです。

というのも、この時の藤田さんは、

女優さんとは(吉永)小百合ちゃんのような人がなるものだ

と、思っていたことから、女優になる気はなかったのだそうです。

(それをうらやんでいた訳ではなく、吉永さんのことは、自分とは全然違う世界の子だと思って、仲良くしていたのだそうです)

「藤田弓子が若い頃は朝ドラ「あしたこそ」のヒロインに抜擢されていた!」に続く

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