1965年、18歳の時、「ジュニア・ミスター・ヨーロッパ・コンテスト」で優勝すると、審査員を務めていたチャールズ ・ワグ・ベネットさんにスカウトされ、ドイツ・ミュンヘンへと渡った、アーノルド・シュワルツェネッガー(Arnold Schwarzenegger)さんは、「ミスター・ユニバース(アマチュア)」優勝を目指し、ベネットさんのもと、本格的なトレーニングを積んでいきます。

「シュワルツェネッガーはJr.Mr.ヨーロッパに優勝しスカウトされていた!」からの続き

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「ミスター・ヨーロッパ・コンテスト」でも優勝

「ジュニア・ミスター・ヨーロッパ・コンテスト」で優勝したことで、チャールズ ・ワグ・ベネットさんにスカウトされ、ドイツ・ミュンヘンに渡ったシュワルツェネッガーさんは、ベネットさんのもと、本格的なトレーニングを積むと、1年後の1966年、「ミスター・ヨーロッパ・コンテスト」では、楽々優勝。

(シュワルツェネッガーさんは、すでに、その時、出場者全員の中で、ずば抜けて太い腕を作り上げており、これが審査員の注目を集めたそうです)

この優勝で、ますます士気が上がったシュワルツェネッガーさんは、いよいよ、念願の「ミスター・ユニバース(アマチュア)」に出場するため、イギリス・ロンドンへ渡ります。

(シュワルツェネッガーさんは、この時、ほとんどお金を持っていなかったため、ロンドンにあるベネットさんの家に泊めてもらい、一緒に暮らしていたそうです)

「ミスター・ユニバース」初出場はチェスター・ヨートンに破れる

すると、コンテストの前夜、宿舎のロイヤルホテルでは、シュワルツェネッガーさんを見た選手たちが、シュワルツェネッガーさんの太い腕の圧倒的なバルク(筋肉量)に驚き、口をそろえて褒め称えたそうで、

シュワルツェネッガーさんは、ますます自信をつけ、すでに、史上最年少で「ミスター・ユニバース(アマチュア)」の栄光を手にしたような気分になったそうですが・・・

ホテルのエレベーターで、チェスター・ヨートンさんに出くわすと、ヨートンさんの身体を見て愕然。

というのも、確かに、バルクではシュワルツェネッガーさんのほうが勝っていたものの、映画俳優でもあるヨートンさんは、他のビルダーとは一味違った雰囲気があったそうで、

実際、コンテストでは、身体のキレ、ポージングの呼吸、脚の位置、視線など、ビルダーとしてのすべてを身に着け、審査員に印象づけるようなアメリカ流のコンテストテクニックもわきまえていたヨートンさんが優勝。シュワルツェネッガーさんは、2位となったのでした。(これが初めての敗北)

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憧れのレッグ・パークとトレーニングに励む

そんなシュワルツェネッガーさんは、ドイツ・ミュンヘンに戻ると、仲間たちが(準優勝の)祝賀会を開いてくれたそうですが、とてもそんな気にはなれず、その足でジムに向かい、翌年の「ミスター・ユニバース(アマチュア)」に向けて、早くもトレーニングを開始。

(2位でも凄いことなのですが、シュワルツェネッガーさんにとって、優勝以外は、すべて「負け」だったそうです)

また、ちょうどその頃、憧れだったレッグ・パークさんと出い、一緒にトレーニングする機会に恵まれたそうで、レッグさんから、「カーフ(ふくらはぎ)が弱い」と指摘されると、懸命にカーフをトレーニングし、「三角筋がまだ十分でない」と言われると、三角筋を集中的にトレーニングするほか、ポージングの練習もよくしたそうで、レッグさんからは、幾多の有益なアドバイスを受けたそうです。

(南アフリカ共和国に移住していたレッグさんから招待され、半年ほど、一緒にトレーニングしたこともあったそうです)

「シュワルツェネッガーは史上最年少でMr.ユニバースになっていた!」に続く

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