1992年、監督・主演を務めた西部劇映画「許されざる者」で、「アカデミー賞」を受賞し、ついに、巨匠の仲間入りを果たした、クリント・イーストウッド(Clint Eastwood)さんは、2004年にも、監督・主演を務めた映画「ミリオンダラー・ベイビー」で、2回目の「アカデミー賞」を受賞します。
「クリント・イーストウッドの「許されざる者」のあらすじは?」からの続き
「ミリオンダラー・ベイビー」で2回目の「アカデミー賞」を受賞
映画「許されざる者」で、アカデミー賞を総なめにしたイーストウッドさんですが、1995年には、これまでのアウトローのイメージから一転、「マディソン郡の橋」「ミスティック・リバー」など文芸性の高い作品も手掛けるようになります。
そして、2004年、家族から愛情を受けたことのない孤独な女性と、家族に愛情をみせてこなかった不器用な老齢の男性が、ボクシングを通して、本当の父娘のような絆を深めていく姿を描いた「ミリオンダラー・ベイビー」が公開されると、映画は大ヒットを記録。
また、この映画は、「第77回アカデミー賞」で、「作品賞」「監督賞」「主演女優賞」「助演男優賞」の主要4部門を独占するほか、多数の映えある映画賞を受賞するなど、イーストウッドさんの最高傑作と言われ、イーストウッドさんは、名監督の地位を不動のものにしたのでした。
「ミリオンダラー・ベイビー」より。イーストウッドさんとヒラリー・スワンクさん。
映画「ミリオンダラー・ベイビー」のあらすじ
それでは、ここで、「ミリオンダラー・ベイビー」のあらすじを簡単にご紹介しましょう。
イーストウッドさん演じる初老のトレーナー、フランキーは、23年来の付き合いとなる雑用係のスクラップ(モーガン・フリーマンさん)と昔ながらのジムでボクサーを育成しているのですが、
教え子を大切に思うあまり、なかなか試合をさせないうえ、口下手で説明が不足していたことから、そんなフランキーにしびれを切らした、有望株の若手ボクサーたちは、次々と別のトレーナーのもとへと去ってしまいます。
そんな中、貧しく、家族が崩壊状態にある若い女性・マギーが、プロボクサーとして成功し、自分の価値を証明しようと、フランキーのうらぶれたボクシングジムを訪れ、ボクシングを教えてほしいと指導を乞うのですが、昔気質のフランキーは、マギーが女性であることを理由に拒否。
ただ、連日ジムに通い詰めるマギーの本気度に、やがてフランキーの心は揺り動かされ、マギーの入門を認めます。
「ミリオンダラー・ベイビー」より。イーストウッドさんとヒラリー・スワンクさん。
すると、コーチングを続けるうち、2人の間に、実の親子よりも強い絆が芽生え始め、マギーはフランキーの指導のもと、試合に勝ち続け、やがて、ウエルター級でイギリスチャンピオンとのタイトルマッチまでたどりつきます。
そして、この試合で、フランキーは、背中にゲール語で『モ・クシュラ』と書かれた緑色のガウンをマギーに贈るのですが、マギーがその言葉の意味を尋ねても、フランキーは言葉を濁すだけで答えません。
ラストは相手の反則技で全身不随となった主人公が尊厳死
さておき、このタイトルマッチに勝ったマギーは、快進撃を続け、WBA女子ウェルター級チャンピオンの「青い熊」と呼ばれるビリーと対戦。
しかし、ビリーから反則のパンチを食らい倒れたマギーは、首を激しく椅子にぶつけ、頚椎を損傷。全身不随となって首から下が動かせなくなり、人工呼吸器がなくては生きられなくなってしまいます。
「ミリオンダラー・ベイビー」より。イーストウッドさんとヒラリー・スワンクさん。
そんな中、母親や家族からも見放され、そのうえ、壊疽(えそ=壊死)を起こした左足は切断され、マギーは絶望。
この状態に耐えられなくなったマギーは、フランキーに、
あたしは生きた、思い通りに。その誇りを奪わないで
と、生命維持装置を外してほしいと懇願するのですが、フランキーから拒否され、舌を噛み切って自殺を図ります。
しかし、一命をとりとめ、再び自殺を図るのを防ぐため、鎮痛剤で眠らされてしまいます。
そんなマギーを見かねたフランキーは、神父に相談すると、自ら死ぬことは絶対にいけない(宗教的タブー)と言われるのですが、苦しみ続ける実の娘のようなマギーへの同情で、ついに、マギーの望みを聞き入れることを決断。
バッグに注射器を2本入れ、マギーの病室に入ったフランキーは、
モ・クシュラは愛する人よ、お前は私の血という意味だ
と、ガウンに綴られた『モ・クシュラ』に込めた意味をマギーに伝え、マギーの呼吸器を外し、アドレナリンを過剰投与し、病室から去ったのでした。
ラストの尊厳死に対しキリスト教団体や障害者団体がボイコット運動
ちなみに、このラストの尊厳死に対し、キリスト教右派が多いアメリカでは、保守派、障害者団体、キリスト教団体から、映画のボイコット運動が起こるなどの抗議行動や大きな論争が巻き起こり、政治雑誌「ウィークリー・スタンダード」も、「生きる機会を軽視した」と批判。
ただ、イーストウッドさんは、
映画の中におけるフィクションの登場人物による行動と、自身の思想や言動は全く無関係であり、この作品はあくまで自分なりのアメリカン・ドリーム観を表現したものである
と、さらりとかわしています。
「クリント・イーストウッドのデビューからの出演監督映画ドラマを画像で!」に続く