14歳の時、演劇学校「ステラ・アドラー・コンサヴァトリー・アクティング」で、再び演技の勉強を始めると、映画ではなく、お芝居に興味を持つようになった、ロバート・デ・ニーロ(Robert De Niro)さんは、当初は、ステラ・アドラーさんと対立するも、やがて、自身に合った演劇法を見出します。

「ロバート・デ・ニーロは少年時代「ボビー・ミルク」と呼ばれていた!」からの続き

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ステラ・アドラーの演劇法に反発していた

14歳の時、演劇学校「ステラ・アドラー・コンサヴァトリー・アクティング」に通い始めたデ・ニーロさんですが、「ステラ・アドラー・コンサヴァトリー・アクティング」の設立者・ステラ・アドラーさんは、五感を使って、俳優の心の奥深くにある過去の記憶を引き出す(俳優の想像力を根底とする)演技法を実践し、提唱していたことから、デ・ニーロさんは、当初、役作りの面で、ステラ・アドラーさんと対立したそうです。

というのも、デ・ニーロさんは、辛い幼少期の記憶を忘れ、自分とはまったく別の存在になりきって演じることに、喜びを見出していたことから、わざわざ、思い出したくもない記憶や心理を呼び起こしたくはなかったからです。

(実際、心の奥深くに沈められた記憶を引き出すこの演劇法は、人によっては、精神的に不安定になり、深刻な状態を引き起こす可能性があり、内面からキャラクターを作っていくためとはいえ、自分自身を見失い、苦しむこともある、危険な演劇法でもあったようです)

自分を売り込むための「オーディション応募用ファイル」を思いつく

ただ、ステラ・アドラーさんの演劇法には、心の内面からキャラクターを作り上げていく方法とは別に、もう一つ、外部(外観)から役作りをする方法があったそうで、

デ・ニーロさんは、19歳の時、役になりきるため、徹底した役作りをしようと、まず、服や帽子を買いそろえ、様々な役柄になりきった写真を何十枚も作り、オーディション応募用のファイルに貼っていくことを思いつくと、

業界誌を読んではオーディションの日程のチェックを怠らなかったそうで、内気で極端にあがり症だったデ・ニーロさんは、このように入念な準備をすることで、オーディションに備えたのだそうです。

(デ・ニーロさんによると、この方法を思いつくのに3年ほどかかったそうですが、当時、誰もこのような売り込みはしていなかったそうです)

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映画「御婚礼/ザ・ウェディング・パーティ」のオーディションではパニックに陥っていた

そんなデ・ニーロさんは、1963年、20歳の時、ブライアン・デ・パルマ監督の長編デビュー作「御婚礼/ザ・ウェディング・パーティ」のオーディションを受けるのですが、紙に書かれてあるセリフを言うだけだったにもかかわらず、全くうまく言うことができず、パニックに陥ったそうで、

いったん、部屋から立ち去り、もう一度戻ってきて、渾身のエネルギーを振り絞ってセリフを吐き出すと、パニックに陥りながらも、猛然と、それでいて執拗にオーディションを成し遂げようとするデ・ニーロさんの姿が、即興的な撮影や演出方法など、様々な面から実験的な作品を撮ろうとしていた、デ・パルマ監督へ強く訴えかけたそうで、見事合格。

こうして、デ・ニーロさんは、「御婚礼/ザ・ウェディング・パーティ」(1967年に完成も公開は1969年)で、本格的な映画デビューを果たしたのでした。

ちなみに、デ・パルマ監督は、後に、オーディションの時のデ・ニーロさんの様子を、

非常に内気で話すのが苦手だった。何とか上手くやろうと必死だった

と、明かしています。

「ロバート・デ・ニーロが若い頃は「ブルーマンハッタン」で高評価を得ていた!」に続く

「御婚礼/ザ・ウェディング・パーティ」より。(左から)ウィリアム・フィンレイさん、チャールズ・プフルガーさん、デ・ニーロさん。

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