1960年代のテレビ黎明期に、軽演劇「やりくりアパート」「番頭はんと丁稚どん」「とんま天狗」で人気を博し、たちまち全国的なスターになった、大村崑(おおむら こん)さんですが、プライベートはどのようなものだったのでしょうか。今回は、そんな大村さんのプライベートをご紹介します。

「大村崑のデビューからの出演ドラマ映画を画像で!」からの続き

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妻との馴れ初めは?

大村さんは、1959年、脚本家・花登筺(はなと こばこ)さんが結成した「劇団・笑いの王国」の看板俳優として活動するほか、テレビドラマ「頓馬天狗」では主演を務め、絶大な人気を博していたのですが、

そんな中、花登さんが、「劇団・笑いの王国」のメンバーだった、芦屋雁之助さん、小雁さんと3組の合同結婚式をやろうと、発案したそうで、

大村さんは、その時、ちょうど、交際相手と別れた直後だったそうですが、新しい相手を探すように言われたそうです。

すると、同年7月頃、たまたま、歌のオーディションで、テレビ局にディレクターを訪問していた瑤子(ようこ)さんと目が合い、一目惚れしたそうで、なんと、その日のうちにプロポーズ。すると、瑤子さんも、これを了承したそうで、1960年3月、お二人は出会って8ヶ月で結婚されたのだそうです。

(当時、瑤子さんは、外資系の貿易会社で会社員として働くかたわら、カンツォーネ歌手を目指していたそうです)

ちなみに、結婚式は、花登さんの発案通り、3組合同による結婚式が行われたそうで、その様子はテレビで生中継されたそうです。(結婚式のテレビ生中継は日本初だったそうです)

結婚生活では妻に大きな負担を強いていた

ただ、いざ、結婚生活が始まると、瑤子さんは、相撲部屋並にたくさんいた大村さんの家族の主婦として切り盛りしなければならず、

(お手伝いさんはいたそうですが、取り仕切るのはすべて瑤子さんだったそうです)

そのうえ、人気絶頂だった大村さんは仕事が忙しく、夫婦の会話はまったくなかったそうで、瑤子さんにとって、新婚生活は大変なだけのものだったのでした。

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妻が家出していた

そんな中でも、瑤子さんは、大村さんを献身的にサポートしつつ、2人の男の子を出産し、育児もしていたのですが・・・

結婚から10年後(長男は小学4年生、次男は幼稚園)、突然、家を出ていきます。

大村さんによると、テーブルの上には、置き手紙ではなく、「このテープを子供に聴かせてください」と、1本のテープが残されていたそうで、

瑤子さんは、その時のことを、

私、本当にもう家に帰るつもりはなくて。言えば病気みたいなもんですね。ストレスがたまってたまって。それが爆発してしまったんです。

それで、米軍の仕事をしていた父の知人で、ハリウッドに行った人で、“瑤子、遊びに来いよ”なんてことよく言ってくれていたおじいちゃんがいて、その人を頼ってアメリカへ飛んだんです。アメリカで何して過ごすか、着いてから考えようと・・・

と、明かしています。

「大村崑の妻は現在カンツォーネ歌手!息子は?」に続く

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