「東京パフォーマンスドール」では、本格的なダンスパフォーマンスを披露し、ルックス、ヴォーカルともに断トツの人気を誇りつつ、「ダウンタウンのごっつええ感じ」では、女芸人も顔負けの体を張ったコントをしていた、篠原涼子(しのはら りょうこ)さんですが、そんな姿を小室哲哉さんに見初められます。
「篠原涼子は昔「ごっつええ感じ」で体を張ったコントをしていた!」からの続き
シングル「恋しさと せつなさと 心強さと」がダブルミリオンセラーを記録
アイドルグループ「東京パフォーマンスドール」としてデビューすると、グループ内ユニット「ゴルビーズ」として、ファーストシングル「JUST LIKE MAGIC」でCDデビューも果たした篠原さんですが、
もともと、中森明菜さんに憧れて歌手を目指してきた篠原さんとしては、やはり、ソロで活動したい、との思いが強かったそうです。
そんな中、1994年7月、小室哲哉さんのプロデュースにより、「篠原涼子 with t.komuro」名義で、リリースしたシングル「恋しさと せつなさと 心強さと」が、オリコン初登場は20位以下ながら、徐々に売上を伸ばし、最終的には、200万枚を売り上げる爆発的なヒット。(篠原さんにとっては4枚目のシングル)
(当時、日本の女性ソロ歌手で初めてCDシングル売上200万枚を突破)
これにより、篠原さんは、同年末の「第36回日本レコード大賞優秀賞」を受賞するほか、「第45回NHK紅白歌合」にも初出場するなど、 たちまちスターダムに駆け上がったのでした。
小室哲哉との出会い
ところで、篠原さんと小室さんの出会いですが、1990年頃、篠原さんが、まだ16歳だった頃、ライブハウスで、「東京パフォーマンスドール」のメンバーとしてステージに立っていたところを、小室哲哉さんが観に来たことがきっかけで知り合ったそうで、
小室さんによると、スポンサーから、「大物を使ってミリオンを獲得してください」と条件を出されていたそうで、そんな中、「ダウンタウンのごっつええ感じ」で人気を博していた篠原さんを見て、
「東京パフォーマンスドールでの活躍する姿とバラエティでの姿のギャップがすごい。この子は負けない子だな。くじけないだろうな。
と、可能性と潜在能力を感じたそうで、篠原さんを抜擢したのだそうです。
(その後、小室さんは、「東京パフォーマンスドール」の楽曲も数多く手がけるようになっています)
小室哲哉は篠原涼子の潜在的な能力を見出していた
ちなみに、篠原さんはというと、なぜ、自分がプロデュースされたかについて、
世間から全然知られていなかった私の噂をどこかで耳にして、ライブを観に来てくださっていたみたいで。そういう誰にも及ばない小室さんの情報収集力は本当すごいなと思います。
『恋しさと~』が映画『ストリートファイター~MOVIE』(1994年)の挿入歌で、「僕がイメージしているメロディにぴったりな声だったから」と仰っていました。
きっと小室さんには普通の人には見えないことがいろいろ見えていたんですね。
と、語っています。
「篠原涼子はカラオケ映像に初めて登場したアーティストだった!」に続く