昭和17年(1942年)11月30日に起こった「横浜港ドイツ軍艦爆発事故」に巻き込まれて死去したという、竹中直人(たけなか なおと)さんの祖父・長谷川正直さんですが、事故原因はほんの些細な不注意で、しかも、国民には、戦意低下を避けるため、日本とドイツの軍部によって詳細が隠蔽されていたといいます。
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事故原因は些細な気の緩みだった
竹中さんの祖父・長谷川正直さんは、昭和17年(1942年)11月30日に、新港埠頭に停泊していた日本やドイツの軍艦など4隻が次々に大爆発を起こした、「横浜港ドイツ軍艦爆発事故」に巻き込まれて亡くなっているのですが、その事故の原因は、ほんの些細な気の緩みだったそうで、
(正直さんがいたのは、新港埠頭8号岸壁という所だったそうです)
ドイツのウッカーマルク号は、南方から積んできた油を川崎に卸し、船倉が空になった状態で横浜に入ってくると、その空になった船倉を中国人捕虜に掃除をさせていたそうですが、
揮発ガスがまだかなり残っている中、見張りをしていたドイツ人がタバコを吸い、それに引火して爆発が起こったのだそうです。
目撃者の証言
ちなみに、目撃者によると、突然、横浜港から巨大な火柱が立ったということですが、竹中さんの従兄弟・柏木幸子さんも、すごい音がして玄関の戸がガタガタ揺れたと語っています。
また、爆発の瞬間を目撃していた横浜税関の元職員・谷津潤二さんも、
爆発の直後は地獄絵ですね。船首のほうから、みんな海に飛び込んで逃げるんですよ。あとあと桟橋の近辺で死体で上がりましたけどね、たくさんドイツの兵隊さんがね。
と、想像を絶する状況だったことを明かしています。
「横浜港ドイツ軍艦爆発事故」の詳細は情報統制で公表されなかった
そんな「横浜港ドイツ軍艦爆発事故」は、死者・行方不明者が約102名にも上る大事故だったのですが、当時は、太平洋戦争の最中だったため、国民の戦意低下を避けるため、日本とドイツの軍部が情報統制を行い、事故の詳細は一切公表しなかったそうで
竹中さんは、お母さんからも、この話を一度も聞いたことがなく、
とくにそういう重い話というか、母も避けていたのかもしれませんね。闇を感じるものはありましたね。「暗いなお母さん」て感じではないですけれども。
楽しく笑ってても、本当はそうじゃないんじゃないかという印象は子供ながらに持っていたような気がしますね。なんか寂しそうな感じというか
と、語っています。
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