アルバイト先の一学年上の先輩・清水国明さんに半ば強引に、フォークグループ「あのねのね」に加入させられ、踊りを担当していた、笑福亭鶴瓶(しょうふくてい つるべ)さんですが、やがて、本格的に落語家を目指すため、大学を中退し、6代目笑福亭松鶴さんに弟子入りします。
京都産業大学を中退
京都産業大学で落語研究会に所属していた鶴瓶さんは、かねてより、「いずれ大学を辞めてプロの落語家になる」と公言していたことから、
ある日、落語研究会の先輩2人に、
いつになったら落語家になるんや
と、からかわれたそうですが、
なんと、鶴瓶さんは、
俺がどないしようと俺の勝手やないか。お前らにガタガタ言われる筋合いはないわ。お前らに言われんでも辞めるときが来たら辞めるんじゃ
と、その先輩2人をトイレに連れ込んで殴打したことがあったのだとか。
そのことが原因かは不明ですが、鶴瓶さんは、大学2年生の終わり頃に大学を中退します。
一旦は(後の)嫁のため普通に就職しようとしていた
とはいえ、玲子さんとの将来を考えると、現実的には、落語の道をあきらめ、普通に就職すべきかと、鶴瓶さんは考えていたそうですが、
そんな時、玲子さんから、
私は芸能人の奥さんになろうとは思わへん。でも、結婚のために自分の夢を求めていかんと、辞めてサラリーマンになるっていうのやったら、もう私のことは忘れてもええから
と、言われたそうで、
鶴瓶さんは、その玲子さんの言葉で、落語家になる決意を固めたのだそうです。
(ちなみに、鶴瓶さんが玲子さんにその旨を伝えると、玲子さんは、「よかろー」と、たった一言、四国弁で返してくれたそうです♪)
6代目笑福亭松鶴に弟子入りした理由とは?
そんな鶴瓶さんは、大学在籍中は、3代目笑福亭仁鶴さんへの弟子入りを考えていたそうですが、安井金比羅宮で開かれた米朝一門の落語会を観に行った時のこと、
高座に上がった6代目笑福亭松鶴さんが、
あっ!
と、固まった後、客席にいた僧侶を指し、
あの坊さんの頭みたらネタ忘れてもた。オチだけ言うて降りま
と、本当にオチだけ言って、2分ほどで降りてしまったそうで、
それを見た鶴瓶さんは、
エライ人や
と思い、松鶴さんへの弟子入りを決意したのだそうです。
何度も断られつつも6代目笑福亭松鶴に弟子入り
こうして、鶴瓶さんは、1971年1月、「京都市民寄席」の楽屋口で、松鶴さんに弟子入りを頼もうとしたそうですが・・・
(知らない人が見たら)ヤクザのような風貌の松鶴さんと弟子の姿におののき、声をかけられなかったそうです。
そして、1年後、今度は、松鶴さんの自宅を訪れたそうですが、その時は、居留守を使われたそうで、その後、何度も松鶴さんの楽屋に通い詰め、入門を乞うも、その都度断られたそうですが、最終的には、松鶴さんが根負けし、弟子入りを許してくれたのだそうです。
反対していた父親をダマして松鶴との挨拶に同行させていた
そして、松鶴さんから、「親父さんを連れてこい」(入門は親の承諾が条件)と言われると、お父さんから芸人になることを反対されていた鶴瓶さんは、一計を案じ、
友人を殴ってケガさせてしまったから一緒に謝りにいってほしいと、お父さんをダマして松鶴さんの自宅に同行させ、晴れて、松鶴さんから正式な入門の許しを得たのですが・・・
お父さんには、途中でダマしたことに気づかれたそうで(松鶴さんの前では、大人の対応を取ってくれたそうですが)、内心は怒り心頭といった気配を感じた鶴瓶さんは、自宅に帰らず住み込んでしまえば怒られずにすむと考え、
松鶴さんに、
今日からお願いします
と、切り出したそうですが、
松鶴さんには、
弟子になったら親子ではなくなってしまう。今日はゆっくり水入らずで過ごしてきなさい
と、言われ、お父さんと帰宅するはめに。
すると、案の定、松鶴邸を出た途端、お父さんに、近くにあったゴミ箱の蓋で殴られたのだそうです(笑)
「笑福亭鶴瓶は入門4日目で横柄な新聞記者を注意していた!」に続く