母子家庭で貧しかったことから、中学生の時からアルバイトをして家計を助けていたという、草刈正雄(くさかり まさお)さんですが、高校2年生の時には、アルバイト先のスナックのマスターからモデルになることを勧められ上京します。
中学卒業後は有名企業に就職するも3日でクビになっていた
アメリカ軍人だったお父さんが朝鮮戦争で他界したことから、母子家庭で貧しかった草刈さんは、苦しい家計を助けるため、中学生の時には新聞配達をし、
(ブレーキの効かない自転車で、登校前と放課後に配っていたそうです)
中学卒業後は、高校には進学せず、地元の有名企業に就職したそうですが、(理由は不明ですが)3日でクビになってしまったそうです。
(お母さんは、草刈さんの就職が決まった時、とても喜んでくれたそうですが、それだけに、クビになった時は、とてもがっかりしたそうです。)
高校時代は定時制に通いつつアルバイトで家計を支えていた
そんな草刈さんは、その後、定時制高校に進学すると、昼間は、「世界文化社」で本の訪問販売の仕事をしたり(地域を回って本や雑誌を売っていたそうです)、文具店「フジモト」で大学ノートを届ける仕事をし、
夕方からは、学校へ通って勉強と軟式野球の部活に励み、夜はスナックで皿洗いのバイトをするという、ほとんど寝る時間のない毎日を送ったそうで、
草刈さんは、そんなアルバイト時代のことを、
(本の訪問販売の仕事について)最初はどの本もよく売れておもしろかったんですが、門前払いされたり、きついことを言われることもあるでしょ。そのうち先輩たちとサボることを覚えて、結局は仕事を放り出してしまった訳です。
と、語っています。
(ただ、稼いだアルバイト代はすべてお母さんに渡していたそうです)
スナックのマスターからモデルになることを勧められお金のため上京
そんな中、高校2年生(17歳)の時、アルバイト先のスナックのマスターから、
正雄は見てくれがいいから、モデルになったほうが稼げるかもしれないよ
と、モデルの仕事を勧められたことから、
モデルの方がお金になるのなら
と、進言を受け入れると、マスターは、早速、東京のモデル事務所を紹介してくれたそうで、
草刈さんは、故郷の駅で友人や知人に総出で見送られながら、一人、東京へ旅立ったそうですが、
モデルを志す、みたいな野心があった訳では全くなくて、お金につられた、ただそれだけでした。母は「好きにしなさい」と送り出してくれたけれど、
おそらく行かせたくはなかったんじゃないかな。1人になってしまうから。さびしかったと思いますよ。
僕も、上京した夜に事務所が用意してくれた旅館に泊まったんだけど、ものすごくさびしくてね。その日のうちに帰りたくなったくらい心細かったのをよく覚えています
と、明かしています。
「草刈正雄は昔CM「資生堂MG5」(男性用化粧品)で大ブレイクしていた!」に続く