医師を目指し、東北大学の医学部を受験するも不合格となると、浪人生活中には、気晴らしで観るようになった映画に夢中になって医学部の受験に3度失敗し、最終的には、映画に関わるべく、東京の大学に進学した、村上弘明(むらかみ ひろあき)さんですが、すぐに大きな運に恵まれます。
「村上弘明の生い立ちは?高校時代は医師を目指していた!」からの続き
「もう頬づえはつかない」の書類審査に合格
映画に関わる仕事がしたいと、東京の大学に進学した村上さんは、上京後も、授業にも出ず、映画館に通い詰めていたそうですが、
そんなある時、大学で出会った友人から、村上さんの写真を映画「もう頬づえはつかない」のオーディションに応募すると書類審査に合格した、ということを聞いたのだそうです。
一旦は「もう頬づえはつかない」でヒロインの相手役に抜擢されるも・・・
そこで、オーディションに行ってみたところ、100名ほどの応募者がいる中、二次審査、三次審査、最終審査と、あれよあれよと進み、見事、ヒロインの相手役に抜擢。
村上さんは、「もう頬づえはつかない」の主演で、華々しく映画デビューすることに決まったそうですが・・・
それから数週間後、村上さんは、スポーツ誌の記事で、この「もう頬づえはつかない」の主演が、桃井かおりさんと奥田瑛二さんに決まったということを知ったそうで、翌日、同映画のプロデューサーに会うと、
プロデューサーからは、
当初主演の男女は新人二人でいくつもりだったが、オーディション後、女性役に桃井かおりを起用することが決まり、相手の男役の年齢もキャリアもバランスが悪いとの理由で奥田に変更された
と、聞き、謝罪されたのだそうです。
仕事が決まるまで1ヶ月66,666円もらいながら大学に行っていた
そして、その直後、このプロデューサーから、今後のことを尋ねられたことから、
村上さんが、
大学で教職は取るつもりですが将来は特に決めていません
と、正直に答えると、
その後、芸能事務所を紹介され、その芸能事務所から、
大学に行ってもいいから仕事が決まるまでひと月に66,666円払う
と、言われたそうで、
村上さんは、今まで通りの生活をしながらお金がもらえるということに釣られ、その芸能事務所に所属することにしたのだそうです。
(村上さんは、「もう頬づえはつかない」では、ヒロインをナンパする男の役(エキストラ)で10秒ほど出演しています)
「仮面ライダー(スカイライダー)」でブレイク
すると、1979年には、特撮ヒーロー物「仮面ライダー(スカイライダー)」のオーディションで、応募者3786人の中から、見事、主人公・筑波洋役に抜擢され、テレビドラマデビューを果たすと、ドラマは大ヒットを記録。
村上さんも、子どもはもちろんのこと、その母親から絶大な人気を博したのでした。
ちなみに、村上さんは、たちまち人気者になったことについて、
当時、僕は新小岩に住んでいて、大泉にある東映撮影所には電車で通っていましたが、JR線と西武池袋線の連絡駅で電車を待っていた帰りに、中学生か高校生ぐらいに見える7~8人の女の子のグループがワーッと駆け寄って来たんです。
「村上さんですよね!?」「握手してください」「仮面ライダー観ています!」って。連日、山奥に行って撮影して、スタッフ以外の人とは誰も会わない僕にとっては、割と衝撃的な体験でした。
テレビで放送されているから周りから認知されているのかな? と思うと同時に、しっかり仕事をしなきゃいけないなという考えが、より固まったと思います。
と、語っています。
「村上弘明は当初「仮面ライダー」のオーディションを嫌がっていた!」に続く
「仮面ライダー(スカイライダー)」より。(クリックでyoutube)