「仮面ライダー」の1年間の撮影では、様々なことを学び、楽しさも感じるようになったことから、引き続き、2年目の出演を希望するも、事務所からは色がつくからと許しが出なかったという、村上弘明(むらかみ ひろあき)さんですが、それが功を奏してか、その後は、より一層、俳優として飛躍します。

「村上弘明は20年間「仮面ライダー」に出演できなかった!」からの続き

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舞台「タンジー」で演じることの楽しさに目覚める

「仮面ライダー」への出演継続を事務所に反対され、やむなく従った村上さんですが、その後は、様々な作品に出演したそうで、

1983年には、プロレスを題材にした翻訳劇「タンジー」のオーディションに合格し、主人公のプロレスラー役に選ばれると、本物のプロレスラーの稽古場に通い、本格的にトレーニングをして、撮影に臨んだといいます。

(この練習で、「ボディ・スラム」「ドロップキック」「飛び蹴り」などのプロレス技ができるようになったそうです)

そして、舞台本番では、劇場の真ん中にリングを作り、四方をお客さんが囲んで観るようにしたそうですが、公演が始まると、お客さんからは、予想もしなかったリアクションがあったり、プロレス技を出した時には拍手が起こったり、思ってもみなかったタイミングで笑い声が聞こえたりと、様々なリアクションをその場ですぐに感じることができたことがとても嬉しく、

もっとお客さんの反応を引き出したいと、毎日、共演者と、「今日はこういう風に演じてみよう」などと話し合うようになると、その自分たちがアレンジした部分に、またお客さんがリアクションをくれ、それが本当に楽しかったそうで、

村上さんは、

『タンジー』は、今でも私の俳優としての“軸”となっている作品ですね。

と、語っています。

「必殺仕事人」の「花屋(鍛冶屋)の政」で人気を博す

すると、1985年、28歳の時には、この舞台「タンジー」をたまたま観に来ていた松竹のプロデューサーから、時代劇必殺シリーズ「必殺仕事人意外伝 主水、第七騎兵隊と闘う 大利根ウエスタン月夜」のオファーを受け、

花を使って相手を倒す仕事人「花屋の政」(後に「鍛冶屋の政」)役で出演すると、たちまち、村上さんは、必殺シリーズ屈指の人気キャラクターとなったのでした。


「必殺仕事人」より。

当初は時代劇を演じるのに抵抗があった

ところで、村上さん演じる「政」は、時代劇でありながら、言葉は今の時代に近く、頭もマゲ(かつら)をつけずに自毛と、かなり現代的な設定となっているのですが、

実は、村上さんは、俳優になった当初は、自身が田舎出身であることが嫌で、都会が舞台の洗練された作品に出演することに憧れていたことから、田舎を連想させる時代劇などからは距離を置き(そのため、ちょんまげや中剃りも嫌だったそうです)、現代劇を中心に活動していたほか、

実際、時代劇「御宿かわせみ」(1980)に出演した際には、ディレクターから、落語家の古今亭志ん朝さんのテープを渡され、「こういう巻き舌でやってくれ」と、セリフを江戸弁で言うように指示されるも、うまくできず、まだ演技にも自信がなかったことから、自ら申し出て、登場シーンを減らしてもらったという苦い思い出もあり、本格的な侍役をやるのにかなり不安があったのだそうです。

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工藤栄一監督に自由にやればいいと言われていた

そんな中、工藤栄一監督と初めて会った際、

オレの言う通りにやったら、ものすごくカッコよく撮ってやるから

オレにお前の身長と顔を貸してくれたら、1カ月、いや2週間で大スターになってやるよ

それだけのものを持っているんだから、立ってるだけでいいんだよ。あとはオレたちがカッコよく撮るから

と、言われたほか、

さらには、

カツラはつけなくていい。地毛でいい

セリフも侍らしい言葉で書いてあるけど、今の言葉でいい。見るのは今の人なんだから

殺陣のシーンはお前の好きにやればいい。子どもの頃にチャンバラやったことあるだろ?あれでいい

せっかく現代っぽい姿かたちを持ってるんだから、時代劇とはいえ、それを生かしてやればいいんだ

とまで言ってもらったそうで、

村上さんは、この工藤さんの言葉で、とても気持ちが楽になったのだそうです。

「村上弘明は巨匠・工藤栄一監督に目をかけられていた!」に続く


(左から)山内としおさん、京本政樹さん、藤田まことさん、
村上さん、ひかる一平さん。

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