1985年、時代劇「必殺仕事人」シリーズで「鍛冶屋の政役」を演じると、たちまち、シリーズ屈指の人気キャラクターになった、村上弘明(むらかみ ひろあき)さんですが、監督の工藤栄一さんからは様々なことを引き出してもらっていたといいます。
「村上弘明は昔「必殺仕事人」の「花屋(鍛冶屋)の政」で大ブレイクしていた!」からの続き
工藤栄一監督に目をかけられていた
1985年、時代劇「必殺仕事人」の撮影では、監督の工藤栄一さんから、現代っぽく演じていいと言われ、不安が取り除かれたという村上さんですが、
その一方で、ある時、村上さんのセリフが、「承知しました」「かしこまりました」「わかりました」というような、相槌を打つ言葉が三言、四言ぐらいの時があり、今日は楽勝だと思って現場に着くと、
工藤さんからいきなり、
ここのシーン、ちょっと変わるから。台本なんて気にすんな。台本通りにやると思ったら大間違いだ
と、言われ、工藤さんは、その場でセリフをレポート用紙に書き始めたそうで、
その後、工藤さんから、「これでやるから」と渡されたレポート用紙を見ると、3枚ほどびっしり書かれていて、ほとんどが村上さんのセリフだったこともあったそうです。
工藤栄一監督に上手く成長させてもらっていた
そこで、思わず、村上さんが、
・・・え、これ、私がしゃべるんですか?
と、尋ねると、
工藤さんは、
今から照明の調整もあるし、10分くらいあるから。ま、とにかく覚えられるところまで覚えろ
と、言ったそうで、
村上さんは、必死になってセリフを覚え、なんとか最後までこなすことができたそうですが、
工藤さんは、そんなふうにして、村上さんの登場シーンをいろいろなところで増やしてくれたほか、役が生きるようにセリフを膨らませてくれたそうで、このことにより、村上さんのやる気もうまく引き出してくれたのだそうです。
「鍛冶屋の政」の演技で「月影兵庫あばれ旅」の主役に抜擢される
また、「鍛冶屋の政」は、1991年、映画「必殺!5 黄金の血」で殉職するのですが、工藤さんは、このエピソードをとても丁寧に描き、「政」に良い死に方を与えてくれたそうで、
同年のテレビドラマ「月影兵庫あばれ旅」では、その時の村上さんの演技が、テレビ東京のスタッフの目に留まって、時代劇初の主演に抜擢されたそうです。
「必殺!5 黄金の血」より。
恩人・工藤栄一監督の遺言
そして、1998年には、テレビドラマ「新選組血風録」で、再び工藤さんと一緒に仕事をしたそうですが、その際には、
工藤さんから、
芝居はいろいろやってきてるし『月影』の頃よりも成長してきた。あと、これからはスタッフに気を遣え。そうすれば、お前はこれから大、大、大俳優になるから
英語を勉強しろ。これからは海外で勝負する時代が来る。お前は身長もあるし、顔もそれなりだし
今度、東北のなまりが抜けない、それで苦労する侍の物語を考えているんだよ。人にだまされたりもするんだけど、最後まで人を信じて生きる侍。
やってみないか(※村上さんが岩手県のなまりが抜けず苦労していたことを知っていたことから)
と、言われたそうで、今となっては、工藤さんの遺言だったのではないかと思っているとのことでした。
(工藤さんは2000年に他界されています)
時代劇や大河ドラマに数多く出演
さておき、村上さんは、
1985年「春の波涛」
1988年「武田信玄」
1993年「炎立つ 第二部」
1996年「秀吉」
1999年「元禄繚乱」
2013年「八重の桜」
「八重の桜」より。松平春嶽に扮する村上さん。
などの、NHK大河ドラマをはじめ、
1990年「宮本武蔵」
1998年「新撰組血風録」
2000年「八丁堀の七人」シリーズ
2004年「銭型平次」
2005年「柳生十兵衛七番勝負」
2006年「太閤記~天下を獲った男・秀吉」
「八丁堀の七人」より。
など、数多くの時代劇に出演しており、
そのうちに、時代劇にも出演するようになりまして。すると、それまで距離を置いていたはずの時代劇が段々好きになってくるんですよ(笑)
そのあたりから、コンプレックスだった自分の故郷も受け入れられるようになりました。
と、語っています。
「柳生十兵衛七番勝負」より。