1960年、「漫画トリオ」で漫才デビューすると、その後は、主に司会業で活躍し、その知性あふれる優れた話術で多くの者を魅了するも、2000年、58歳という若さで芸能界を引退した、上岡龍太郎(かみおか りゅうたろう)さん。今回は、そんな上岡さんの奥さんと息子さんをご紹介します。
「上岡龍太郎はキッチュ(松尾貴史)の番組で自ら締めていた!」からの続き
妻はもともと上岡龍太郎のファンだった
上岡さんは、1969年、27歳の時、一般人の友岐子さんと結婚しています。
実は、奥さんは、上岡さんが「漫画トリオ」で「横山パンチ」として活動している時からのファンで、知り合った時、まだ13歳だったといいます。(上岡さんは21歳)
それでも、上岡さんは、集まってきたファンの中から、奥さんにはピンとくるものがあったそうで、
君は将来、ぼくと結婚する
と、口説き続け、知り合ってから6年後に結婚に至ったのだとか♪
妻は昔関西ローカル番組に出演していた
そんな奥さんは、結婚後は、主婦をしつつ、上岡プロモーションの社長をしていたそうですが、1979年には、関西ローカル番組「奥さまリビング」に月曜レギュラーとして出演し、公開お見合いコーナー「二人でお茶を」で、アナウンサーの桑原征平さん(上岡さんの高校の後輩)とともに司会を務めていたこともあったそうです。
ただ、同年9月にこのコーナーが終了すると、以降は、再び、主婦業と上岡プロモーションの社長業のみとなり、芸能活動はしていないようです。
ちなみに、上岡さんは愛妻家で、引退後は、奥さんと一緒に、演芸や舞台を観に行くことを楽しむほか、小旅行にもよく出かけているとのことです。
桂米朝さんの告別式での上岡さん夫妻。
息子は映画監督の小林聖太郎
そんな上岡さんと奥さんの間には、1971年3月3日、男の子(一人息子)が誕生しているのですが、この男の子というのが、映画監督の小林聖太郎(こばやし しょうたろう)さんで、
聖太郎さんは、1994年に関西大学法学部政治学科を卒業後すると、その後は、数年間、ジャーナリストの今井一さんの助手を務め、関西のラジオ放送局「毎日放送」が阪神大震災から1週間の間に放送した内容すべてを記録したドキュメント「阪神大震災の被災者にラジオ放送は何ができたか」や、今井さんの著書「大事なことは国民投票で決めよう!」の取材・執筆に携わると、
その後、1996年には、今井さんの知人だったドキュメンタリー映画監督の原一男さん主宰の「CINEMA塾」に第一期生として入塾し、原さんが監督を務めたテレビドキュメンタリー「映画監督・浦山桐郎の肖像」(1998年1月3日放送)で助監督を務めるほか、関連書籍「映画に憑かれて 浦山桐郎」の編集にも携わり、
1998年からは、劇場映画の助監督として下積みをすると、2006年には、映画「かぞくのひけつ」で監督デビュー。
映画「かぞくのひけつ」合同会見より。(前列左から)桂雀々さん、秋野暢子さん、久野雅弘さん、小林さん。(後列左から)ちすんさん、谷村美月さん、テントさん、浜村淳さん。
以降、2010年には、「美しき天然」(オムニバス映画「にほんのうた」の一作品)
2011年には、「毎日かあさん」
2015年には、「マエストロ!」
「マエストロ!」公開直前イベントより。(左から)小林さん、西田敏行さん、松坂桃李さん、miwaさん、辻井伸行さん。
2017年には、「破門 ふたりのヤクビョーガミ」
小林さん(左)と「破門 ふたりのヤクビョーガミ」主演の佐々木蔵之介さん(右)。
2019年には、「初恋〜お父さん、チビがいなくなりました」
と、監督を務めています。
ちなみに、お父さんの上岡さんは、大変な子煩悩(ぼんのう)で、聖太郎さんが誕生した時には、育児日記をつけるなど子育てに熱中していたそうで、
2016年10月15日、「京都国際映画祭」で、聖太郎さんの初監督作品「かぞくのひけつ」(2006)が上映された際も、上映会に参加するなど、今も親子の仲は良いようです。