まだまだ現役バリバリだった1997年に引退を表明すると、2000年にはスッパリ引退してしまった、上岡龍太郎(かみおか りゅうたろう)さんですが、現在、人気の若手漫才コンビ「ミキ」の二人(昴生さんと亜生さん)は甥にあたるそうです。

「上岡龍太郎の妻は横山パンチ時代のファン!息子は小林聖太郎!」からの続き

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上岡龍太郎は漫才コンビ「ミキ」の伯父

実は、現在活躍中の若手漫才コンビ「ミキ」の二人(兄・昴生さんと弟・亜生さん)は上岡さんの甥にあたるそうで、

2020年1月24日、「ミキ」の二人が、テレビ番組「A-Studio」にゲスト出演した際には、司会の笑福亭鶴瓶さんに、上岡さんがどういう存在か聞かれるのですが、

なんと、二人は、上岡さんとは、幼い頃に数回会った程度で、漫才師になってからは一度も会っていないとのことで、


笑福亭鶴瓶さんと「ミキ」の二人。

鶴瓶さんに、

大先輩である上岡さんには挨拶しておいたほうがいいのでは

と、提案されるも、

昴生さんは、

何を言っていいかわからない

と、戸惑いの表情を浮かべています。

上岡龍太郎の「ミキ」へのメッセージに笑福亭鶴瓶が涙

ちなみに、同番組は、MCの笑福亭鶴瓶さんと上白石萌歌さんが自ら事前に徹底取材して、ゲストの素顔に迫るトーク・バラエティで、ゲストには内緒でゲストの家族や親友などに会いに行っているのですが、

鶴瓶さんが、「ミキ」の二人のお母さん(上岡さんの異母妹)を訪ねると、お母さんも上岡さんとは疎遠で、上岡さんの連絡先を知らなかったことから、気を利かせて、上岡さんの電話番号をお母さんに教えたと伝えると、「ミキ」の二人は、共に「エッ」とびっくり。

しかも、鶴瓶さんは、上岡さんにも電話をしたということで、

二人が、

僕らのこと、どう言うてました?

と、聞くと、

鶴瓶さんは、

漫才の形としては安定している

という、上岡さんの言葉を伝えています。

(「ミキ」の二人はこれを聞いて大喜び)

そして、最後には、上白石萌歌さんのリクエストで、「ミキ」の二人がネタ合わせもせずにスタジオで漫才を披露しているのですが、

定番のエンディングでの鶴瓶さんの一人トークでは、「ミキ」が長年仕事をしてきた上岡さんの甥っ子ということからか、鶴瓶さんは、上岡さんの「ミキをよろしゅう頼むわな」という言葉を涙ぐみながら伝え、番組を締めています。

さて、いかがでしたでしょうか。

上岡さんの、

  • 年齢は?出身は?身長は?学歴は?
  • 本名は?芸名の由来は?
  • 父親は社会的弱者の弁護士だった
  • 父親は苦学の末に弁護士になっていた
  • 幼少期から母親に英才教育を受けるも芸能に憧れていた
  • 12歳の時に母親が他界
  • 浜村淳に弟子入りを志願するも断られる
  • 「田川元祥&リズムワゴンボーイズ」に加入
  • 横山ノックに漫才に誘われる
  • 「漫画トリオ」を結成
  • 横山ノックは服装に厳しかった
  • 「漫画トリオ」活動休止によりピンに転向
  • 「ノックは無用!」の司会で再ブレイク
  • 「鶴瓶 上岡パペポTV」で東京進出に成功
  • 笑福亭鶴瓶との出会いは超能力がきっかけだった
  • 「探偵ナイトスクープ」でブレイク
  • 「探偵ナイトスクープ」の収録中に激怒
  • 「探偵ナイトスクープ」の収録中プロデューサーに説教したうえ退場
  • 「探偵ナイトスクープ」降板を決意していた
  • 占い師&霊能力者にブチギレしていた
  • 占い師&霊能者に抜き打ちで質問することになっていたが・・・
  • 占い師&霊能者霊能者たちは質問を言い当てることができなかった
  • 占い師&霊能者を毛嫌いするようになった原因は母親にあった
  • 出演作品(テレビドラマ)
  • 出演作品(映画)
  • 出演(バラエティ番組)
  • 受賞歴
  • 58歳ですっぱり芸能界を引退
  • 引退の理由は?
  • 引退理由は別の所にあった?
  • 本当の引退理由は?
  • 引退後は好きなことをして暮らしていた
  • 弟子・テントの死去に沈痛な表情でコメント
  • 笑福亭鶴瓶がゴルフ場で見かけていた
  • 島田紳助は上岡龍太郎の助言で「ツッパリ漫才」を確立していた
  • 引退表明時には島田紳助から引き止められていた
  • 島田紳助の引退を思いとどまらせていた
  • 島田紳助の引退を知らなかった
  • 島田紳助の引退を予言していた?
  • 岡村隆史が過去の上岡龍太郎とキッチュ(松尾貴史)の激論に触れる
  • 上岡龍太郎の言葉にひさうちみちおは謙遜するが・・・
  • 中島らもが火に油を注いでいた?
  • 上岡龍太郎がひさうちみちおの絵を酷評し松尾貴史との激論が勃発
  • 上岡がひさうちみちおの作品を購入し改めて評価するということで一旦は収まるも・・・
  • 上岡が中島らものことも批判したことで松尾の怒りが再燃
  • 再び激しい口論
  • 1987年12月の放送での口論は時間切れで一旦終了
  • 翌年の放送では上岡がひさうちみおの絵を認める発言をするも・・・
  • 話の論点が「言った」「言わない」にすり替わる
  • 上岡龍太郎が一転、反語的な褒め言葉だったと発言
  • 上岡龍太郎が論点を整理しているはずが・・・
  • キッチュ(松尾貴史)が逆襲
  • キッチュ(松尾貴史)も一歩も引かず
  • キッチュ(松尾貴史)の逆襲に上岡龍太郎が窮する
  • キッチュ(松尾貴史)がさらに上岡龍太郎を口撃
  • キッチュ(松尾貴史)が上岡龍太郎の弱者攻撃を指摘
  • 今度は上岡龍太郎が切れディレクターまで巻き込む
  • キッチュ(松尾貴史)がたまらず謝罪
  • 上岡龍太郎はキレ気味ながら正論でキッチュ(松尾貴史)を口撃
  • 上岡龍太郎が正論口撃するもキッチュ(松尾貴史)は反論
  • 上岡龍太郎がついにキッチュ(松尾貴史)にぶち切れ
  • たまらずディレクターが割って入る
  • ディレクターの仲裁の途中で上岡龍太郎が割り込む
  • キッチュ(松尾貴史)が無理やりコーナーを締める
  • 上岡龍太郎が納得できずコーナーが延長される
  • キッチュ(松尾貴史)が改めて謝罪して収めようとするも・・・
  • 上岡龍太郎がキッチュ(松尾貴史)に次々と非を認めさせる
  • ついに見かねた進行役の女性が割って入りキッチュ(松尾貴史)のフォローを試みる
  • 再び、見かねた進行役の女性がキッチュ(松尾貴史)のフォローを試みる
  • ついにキッチュ(松尾貴史)が従順な態度に徹する
  • 上岡龍太郎の独壇場
  • 再びキッチュ(松尾貴史)と言い合いに
  • キッチュ(松尾貴史)の番組にもかかわらず上岡龍太郎が勝手に締めて終わらせる
  • 妻はもともと上岡龍太郎のファンだった
  • 妻は昔関西ローカル番組に出演していた
  • 息子は映画監督の小林聖太郎
  • 上岡龍太郎は漫才コンビ「ミキ」の伯父
  • 上岡龍太郎の「ミキ」へのメッセージに笑福亭鶴瓶が涙

について、まとめてみました。

かつて、上岡さんと一緒に仕事をした人たちは、

上岡さんはとても懐の深い人で、僕のような駆け出し者の話も喜んで聞いてくれた。芸人も、スタッフも、みんな上岡さんと話をしたがった。上岡さんの周りには、そんな輪が自然とできた。

いまでも、何か思いついたら、これ上岡さんやったらどう言いはるやろと思うことがあります。それが僕の指針になってます(「探偵ナイトスクープ」の放送作家を務めた小説家の増山実氏)

(怖さや厳しさはあっても決して嫌なものではなかった)なぜなら、上岡さんの言葉にはウソ偽りがなかったからです。本気で怒ってくれる一方で、いい番組ができると、共演者にもスタッフにも『面白かった。よくやったね』と優しい言葉をかけてくれる。

上岡さんに喜んでもらえる番組を作ろうと、みんな家に帰るのも忘れて、毎晩遅くまで会議と打ち合わせを繰り返していました。

今でも上岡さんに教えてもらった『真摯に仕事に向き合う姿勢』は忘れていません(フリーアナウンサーの梶原しげる氏)

と、語っており、引退して何年も経つ、今もなお、慕われ続けている上岡さんですが、

増山氏によると、2016年に、増山氏が「大阪ほんま本大賞」という賞を受賞した際には、祝の席に上岡さんが出席し、祝辞を述べてくれたそうですが、その話術は、一度、表舞台から身を引いたとは思えないほどで、明日からでもすぐに、レギュラーが持てるほど、レベルの高いものだったとのこと。

58歳での引退は、あまりにも早く感じますが、自身の美学を貫いたあたり、上岡さんらしい引き際とも思えます。

それでは、最後に、今でも上方芸能界で語り種となっているという、2007年に営まれた「横山ノックを天国へ送る会」での上岡さんの弔辞をご紹介します。

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横山ノックへの弔辞

ノックさん
あなたは僕の太陽でした
あなたの熱と光のおかげで僕は育ちました
あなたの温かさと明るさに包まれて生きてきました

ノックさん
あなたはみんなの太陽でした
あなたが現れるだけでその場がパッと明るくなりました
あなたが笑顔を見せるだけでみんな心が癒されました

ノックさん
あなたは大きな太陽でした
あなたの前に立つと
自分がいかに些細なことにこだわり
つまらないことに悩み
とるに足らないことで人と争っているか
自分自身の小ささを思い知らされました

ノックさん
あなたは今、西の空を真っ赤に染めて
水平線の向こうに沈んで行こうとしています
でも僕の胸の中には今も真夏の太陽のようなあなたが
ギラギラと輝いています

あなたと初めて会った昭和35年1960年8月5日から
最後となった平成18年 2006年4月4日までの想い出の数々が、
まるで宝石のようにキラキラと胸一杯に詰まっています

六甲のベースキャンプ
ハウスボーイ時代には「サミー」と呼ばれ
宝塚新芸座では「三田久」と名乗り
「秋田Kスケ」から「横山ノック」
「漫画トリオ」になったノックさん

はじめて買ったブルーバードファンシーデラックスが盗まれ
セドリックからアルファ・ロメオジュリアスプリントGTヴェローチェ
運転手付きのダッチダートに乗り換えたノックさん

我孫子町からさ沢ノ町
西宮北口から千里津雲台
桃山台の豪邸から芦屋に移り住んだノックさん

漫才師から参議院議員
大阪府知事から最後は被告人にまでなったノックさん

相方や車や住まいや肩書はコロコロと変えたけど
奥さんだけは生涯変えなかったノックさん

血の滴るようなTボーンステーキが大好き
あんころ餅や大福餅といった甘いものが大好きで
何より麻雀が大好きだったノックさん

女性が大好きだったノックさん
料理を作るのがうまかったノックさん
麻雀は下手クソだったノックさん

女性を口説くのが上手かったノックさん
お酒は弱かったノックさん
麻雀も弱かったノックさん
女性にも弱かったノックさん

マーロンブランド扮するナポレオンの髪型を真似して
ピンカールしていたノックさん
あの頭で10日に1回散髪に行っていたオシャレなノックさん

進駐軍仕込みの英語が堪能だったノックさん
そのくせカタカナは苦手だったノックさん

人を笑わせるのに自分は泣き虫で
賑やかなことが好きで寂しがり屋で
ありがた迷惑なほど世話焼きで
ああ見えて意外に人見知りで
甘えん坊で 頑固で 意地っ張りで 負けず嫌いで
天真爛漫で子供っぽくてかわいくて

そして いつでもどんな時でも必ず
僕の味方をしてくれたノックさん

ノックさん
本当にありがとうございました

ノックさん
本当にお疲れ様でした

そして
ノックさん
本当にさようなら

芸人を送るのに涙は似つかわしくありません
どうか不世出の大ボケ 横山ノックを
精一杯の笑顔と拍手で天国に送ってやってください

ノックさんに、献杯

ありがとうございました。

「上岡龍太郎の生い立ちは?幼少期から芸能に憧れていた!」

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