1972年、四角佳子さんと結婚するも、1975年には離婚。1977年、浅田美代子さんと結婚するも、1984年には離婚している、吉田拓郎(よしだ たくろう)さんですが、1986年に結婚した森下愛子さんとは、すでに30年以上。なぜ森下さんとはうまくいっているのでしょうか。今回は、その理由について、吉田さん本人の証言を交えつつ、ご紹介します。

「吉田拓郎のガン闘病は妻・森下愛子が心の支えだった」からの続き

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激しい性格の森下愛子には振り回されていたが・・・

吉田さんは、

長年連れ添った夫婦だと何も言わずとも相手の心がわかると言うけど、そんなのはダメ。年老いていくほど気遣わないと、共に生きていけない

と、夫婦円満の秘訣を語っていたことがあったそうですが、

ラジオ番組「ラジオでナイト」では、森下愛子さんとの最初の頃の結婚生活について、

うちの佳代(森下さんの本名)は料理をうまく作れないと、機嫌が悪くなる。むかし加藤和彦が家に遊びにきたとき、結婚前だったが、佳代がご飯を作りに来てくれた。

そして鳥のももを焼いてくれたのだが、加藤が「拓郎、鳥ってこんなに赤いか?」と不審がった。あまり焼けてなかったのだ。うちのヤツはこういうことがあると、とたんに機嫌が悪くなる。ふくれる。

うちの人はとても欠点が多い。それが直らない。すぐ怒る。短気。かんしゃくもち。家内のお母さんもかんしゃくもちだった。だから三人で逗子に住んでいた7年間、この親子喧嘩がはじまると、俺は二階に逃げた。

仲裁に入ろうにも怖くて怖くて、あまりにも激しすぎる喧嘩だった。母娘でののしりあいが始まると、僕はただひたすら沈静化するのを待った。こういうときの吉田拓郎を想像してくれよ。

あるとき、山下達郎が家内に説教してくれた。「あなたねぇ、あなたの旦那さんを、誰だと思ってるんですか。天下の吉田拓郎さんですよ」

と、森下愛子さんがかなり激しい性格の持ち主で、振り回されていたことを明かしています。

3人目の妻・森下愛子と長く続いている理由とは?

そして、吉田さんは、田家秀樹さんの著書「吉田拓郎 終わりなき日々」(2010)で、

離婚の原因?なんで1回目が離婚になって、2回目も離婚になって、なんで3回目の奥さんと20年もやっていられるかって、それはやっぱり理由があるよ。

離婚に関して原因を詳しく述べるのは相手がいることだから問題がある。ただそういうことによる、離婚やら何かによる自分の挫折感というような事は語ったことがないけど、心の中ではあるよ、いっぱい。

人生の中で挫折はなんだっていったら、離婚だよ、僕は。がんの手術よりも、やっぱり離婚は挫折ですよ。あれは無いに越した事は無いですよ。何か挫折したことがあるかと言ったら。

つまり、この人とはうまくやれなかったっていう、非常に問題点が残っているわけだな。自分の問題点と、自分の反省点とか、後悔とかが残っているわけですよね。

で、2度もやっているわけだから、それは僕の人生の中では大きな負の要素だった。なきゃないで、こんなに良い事はないと思うんだけど、やっぱり大きな挫折を味わっているからね。

そうすると、やっぱり3度目はうまくいくっていう。それは、その挫折によって勉強しているわけだから。

と、語っており、森下さんと長く続いているのは、相性が良かったからということよりも、次こそはという努力の賜物だったようです。


吉田拓郎 終わりなき日々

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子供は娘が一人

そんな吉田さんは、最初の妻・四角佳子さんとの間に、1974年に女の子が1人誕生しているのですが、名前が「彩」という以外は、情報がまったくないことから、芸能界関係者ではないようです。

(2番目の妻・浅田美代子さんと3番目(現在)の妻・森下愛子さんとの間には子供は誕生していません)

ちなみに、彩さんは、離婚後、四角さんが引き取って育てていたそうですが、吉田さんはそれきり彩さんとは会っていなかったそうで、

吉田さんは、1999年、テレビ番組に出演した際、

この前、(20数年ぶりに)娘に会ったんだよ、自分の娘じゃなかったら口説いてたかもしれないよ

と、笑いながら話しています。

(彩さんは、四角さんのブログによると、2003年に結婚し、その後、子供も出産しているようですが、吉田さんは、結婚式にも呼ばれなかったとのこと。それでも、吉田さんは、彩さんの為に、「彩たん」「子供に」「流星」「君のスピードで」などの楽曲を作っているそうです)

「吉田拓郎が引退!妻・森下愛子と終活を進めていた!」に続く


結婚式での彩さん。(四角佳子さんのブログより)

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