1964年、映画「暗殺者」の撮影中、初めて食事に誘ったことがきっかけで、岩下志麻さんと交際し、結婚に至ったという、篠田正浩(しのだ まさひろ)さんですが、今回は、そんな二人の、当時のエピソードをご紹介します。
「篠田正浩の最初の妻は?現在(2人目)の妻・岩下志麻との馴れ初めは?」からの続き
岩下志麻の一言で交際に発展していた
1960年、映画「乾いた湖」のヒロインオーディションで女優の岩下志麻さんと知り合うも、交際はおろか、食事さえ一緒にせず、1964年、映画「暗殺」の撮影中に、初めて二人で一緒に食事に行ったという篠田さんですが、
その後、この「暗殺」がクランクアップし、打ち上げが東京・赤坂のナイトクラブで開催された際、当時流行っていたマンボというダンスを岩下さんと踊っていると、
突然、岩下さんから、
私、監督と結婚するような気がします
と、言われたそうで、
篠田さんは、唖然として踊りをやめたそうですが、このことがきっかけとなり、交際が始まったそうで、約3年の交際を経て、1967年3月3日、36歳の時、京都の大徳寺高桐院で結婚式を挙げたそうです。
(岩下さんは、篠田さんとマンボを踊った時、ふと、「ああ、私はこの人と結婚するな」と、ひらめいたそうで、子供の頃から束縛されることが嫌いで、それまで全く結婚願望などなかったにもかかわらず、なぜか、結婚を口走っていたのだそうです)
岩下志麻の将来を心配して駆け落ちのように結婚していた
また、篠田さんは、
デビュー作のオーディションを寺山修司と面談してから、彼女はメロドラマのヒロインになり、僕らとは縁がないと思っていたら清河八郎(丹波哲郎さん)の愛人(「暗殺」の主人公)なんていう汚れ役を苦もなくやってくれて。
この人は女優としてどうするのかなと思っていました。大船に戻ったら大庭秀雄さんが彼女で「雪国」を撮っていた。撮影所でばったり会ったら、この間、「雪国」のキャンペーンで新潟へ行ったら、寒い国でこんな寒い映画を見せられたってお客は来ないよ、と小屋主に言われたと、がっかりしているんですね。
もう女優主演の映画の時代ではないというのを、その時身を持って味わったのではないかな。彼女も、それで新しい映画の世界へもういっぺん仕切り直さなければいけないのではと考え始めたのではないか。大船の女優でやっていけなくなっているのではないか。
そこから、駆け落ちしなきゃだめだなと思った
と、岩下さんの女優としての将来を思うあまり、結婚に至ったとも語っています。
岩下志麻は松竹に猛反対されかえって結婚を決意していた
一方、岩下さんはというと、当時は、結婚すると引退しなければならない時代だったため、(人気絶頂だった岩下さんの結婚は)「松竹」の重役達から猛反対されたそうで、
毎日のように自宅に来ては、
まだ早い
一人の男の所有物になるのか!
(いっぱい脚本を積み上げて)これだけ主演作を用意しているんです
などと、言われたそうですが、
岩下さんは、
周囲の人の99パーセントから反対されました。周囲から猛反対されるので逆に「結婚しよう。それで駄目ならもともとそこまでの女優。結婚してさらにいい女優になろう」という決意で踏み切りました
と、猛反対されたからこそ、結婚する決意を固めることができたのだそうです♪
岩下志麻さんと篠田さん。