20世紀最大のロックバンド「ビートルズ」の初期メンバーとして活動するも、デビュー前に脱退し、ジョン・レノンさんやポール・マッカトニーさんとの関係性がしばしば取り沙汰されてきた、スチュアート・サトクリフ(Stuart Sutcliffe)さんですが、今回は、その後のジョンさんやポールさんのエピソードをご紹介します。
「スチュアート・サトクリフの死後アストリッドは写真家を辞めていた!」からの続き
ジョン・レノンはスチュアートの遺品のマフラーを手放さなかった
ジョン・レノンさんは、スチュアートさんの葬儀には参列も献花も自粛しているのですが、「ビートルズ」が1967年にリリースしたアルバム「SGT. PEPPER’S LONELY HEARTS CLUB BAND」のジャケットにはスチュアートさんの写真が用いられています。
また、英ケンウッド・サリーの自宅の壁にはスチュアートさんの絵を2枚飾っていたほか、
妻のオノ・ヨーコさんによると、
あいつはもう一人のオレだった。あいつの精神世界、指導力・・・
と、スチュアートさんの名前をよく口にし、
スチュアートさんの婚約者だった、アストリッド・キルヒャーさんから渡された、スチュアートさんの遺品のマフラーを生涯手放すことはなかったそうです。
「SGT. PEPPER’S LONELY HEARTS CLUB BAND」
上記ジャケットの左上部分を拡大したもの。スチュアートさんが写っています。
ポール・マッカートニーもスチュアートの80歳の誕生日を祝福
そして、スチュアートさんと様々な確執があったとされるポール・マッカートニーさんもまた、スチュアートさんを忘れてはいなかったようで、2020年6月23日、スチュアートさんがもし存命していれば80歳という節目の誕生日の日に、自身のインスタグラムに、
Our original bass player Stuart would have been 80 today! So many great memories of our time together. Happy birthday Stu! Love Paul
(私たちのオリジナル・ベース・プレイヤーだったスチュアートが、80歳の誕生日を迎えるはずだったんだ!素晴らしい思い出がいっぱいだ。ハッピー・バースデー、スチュ!愛を。ポール)
と、コメントしています。
スチュアートさんの80歳の誕生日を祝福するポール・マッカートニーさん。
アストリッドは映画「Backbeat」のスチュアート役が激似で驚いていた
ところで、1994年には、スチュアートさんの21年間の生涯を描いた映画「Backbeat」が公開され、婚約者だったアストリッド・キルヒャーさんがこの映画のアドバイザーを務めているのですが、
アストリッドさんは、スチュアートさんの役を演じた、俳優のスティーブン・ドーフさんについて、
人生で初めてというくらいの衝撃を受けたわ・・・彼は、年齢的にもピッタリだったんだけど、顔を上げて彼の姿を見たとき、腕に鳥肌が立ったわ。
喋り方、煙草の吸い方、仕草がスチュにそっくりだったのよ。とても感銘を受けたわ
と、語っています。
(この「Backbeat」は、その後、監督のイアン・ソフトリーさん本人の手で舞台化もされ、2019年には日本でも上演されているのですが、大千秋楽はスチュアートさんの誕生日の6月23日だったといいます)
さて、いかがでしたでしょうか。
スチュアート・サトクリフさんの、
- 年齢は?出身は?本名は?
- 身長が低かった
- 端麗な容姿(イケメン)と絵画の才能で学校の人気者だった
- ジョン・レノンの数少ない親友だった
- ジョンレノンに半ば強制的にバンドに加入させられていた
- イケメンによる集客目的でバンドに加入させられていた
- ジョン・レノンと共に「BEATLES」の名付け親だった
- 「ロング・ジョン&ピーシズ・オブ・シルヴァー」などに改名させられていた
- ピート・ベストが「ビートルズ」に加入
- 総勢10名でヴァンに乗りフェリーで英リバプールを出発
- 独ハンブルクに到着するも・・・
- 独ハンブルク「インドラ・クラブ」での初演奏は劣悪な環境だった
- 独ハンブルク到着初日は部屋が用意されていなかった
- 独ハンブルク滞在中の住まいは古い映画館の汚い裏部屋だった
- 猛烈な悪臭漂う不潔な寒い部屋で寝泊まりしていた
- 過酷な出演ノルマがあった
- 当初はおとなしく評判は良くなかった
- 「インドラ・クラブ(Indra Club)」で人気を博す
- 「インドラ・クラブ」が騒音で訴えられ閉鎖
- 「カイザーケラー(kaiserkeller)」でも人気を博す
- 初対面のリンゴ・スターにご馳走していた
- アストリッド・キルヒャーと出会って2ヶ月で婚約
- きっかけはアストリッド・キルヒャーの当時の恋人のクラウス・フォアマン
- 当初アストリッド・キルヒャーは「ビートルズ」に興味を示さなかった
- クラウス・フォアマンは懸命に「ビートルズ」と関係を持とうとしていた
- アストリッド・キルヒャーは渋々「カイザーケラー」を訪れていた
- アストリッド・キルヒャーとはお互い一目惚れだった
- アストリッド・キルヒャーは「ビートルズ」の演奏にも魅了されていた
- アプローチはアストリッド・キルヒャーから
- ドイツ人に大人気だった
- 「ビートルズ」の写真はアストリッド・キルヒャーが頼み撮影していた
- アストリッド・キルヒャーは顔の半分に光を当てる独特の方法で撮影していた
- 「ビートルズ」はアストリッド・キルヒャーからポージングを教わっていた
- ビートルズカット(マシュルームカット)
- 襟なしのスーツ
- アストリッド・キルヒャーは「ビートルズ」の憧れの存在だった
- アストリッド・キルヒャーは「ビートルズ」にとって母親や姉のような存在だった
- ポール・マッカートニーにイジメられていた
- ポール・マッカートニーに嫉妬されていた?
- ジョン・レノンから特別扱いされていた
- ポール・マッカートニーとの大ゲンカ後「ビートルズ」脱退の意思を固めていた
- アストリッド・キルヒャーさんと婚約し「ビートルズ」を脱退
- 彫刻家エドアルドパオロッツィに師事し画家に専念
- 「ビートルズ」はドイツを国外退去処分となっていた
- ジョン・レノンから厚く信頼されていた
- ビートルズの2度目の独ハンブルク公演に即興で演奏
- 激しい頭痛に苦しめられるも原因不明
- 頭痛は悪化の一途をたどっていた
- 精神に異常をきたし錯乱状態に陥ることも
- 21歳で死去
- 死因は誰かに殴られたことによる「頭蓋骨陥没」?
- 死因はジョン・レノンの暴行による「頭蓋骨陥没」?
- 死因は「脳腫瘍」で苦しみ頭をどこかにぶつけたことによる「頭蓋骨陥没」?
- アストリッド・キルヒャーと「ビートルズ」は偶然ハンブルク空港で遭遇していた
- 「ビートルズ」はスチュアート・サトクリフの死をまだ知らなかった
- アストリッド・キルヒャーはジョン・レノンの叱咤で立ち直っていた
- スチュアート・サトクリフの死に「ビートルズ」は深い悲しみに陥っていた
- アストリッド・キルヒャーはショックが大きく葬儀を欠席していた
- ジョン・レノンはアストリッド・キルヒャーに励ましの手紙を送っていた
- アストリッド・キルヒャーは写真家を辞めていた
- アストリッド・キルヒャーも2020年に81歳で他界
- ジョン・レノンはスチュアートの遺品のマフラーを手放さなかった
- ポール・マッカートニーもスチュアートの80歳の誕生日を祝福
- アストリッドは映画「Backbeat」のスチュアート役が激似で驚いていた
について、まとめてみました。
類まれなるアートの才能と美貌で人々を虜にし、今もなお世界各国で作品の展覧会が行われているというスチュアートさん。
あまりにも短い期間ではありますが、創作に燃やしたその情熱は、作品の中で永遠に生き続けることでしょう。
「スチュアート・サトクリフは幼少期から絵画の才能を発揮していた!」
スチュアートさんの作品。