「3時のあなた」「ラブラブショー」「夜のヒットスタジオ」「料理天国」などで、長らく、人気司会者として活躍した、芳村真理(よしむら まり)さんですが、1988年には、「夜のヒットスタジオ」を、1992年には「料理天国」を降板し、芸能活動自体もセミリタイア状態となります。今回は、そんな芳村さんが「夜ヒット」を降板した理由やその後の活動を紹介します。
「芳村真理は井上順と「夜ヒット」の黄金時代を築いていた!」からの続き
「夜のヒットスタジオ」「料理天国」を降板し芸能活動もセミリタイア
音楽番組「夜のヒットスタジオ」で20年に渡って司会を務め、従来の司会者にはない独自のアイディアと実行力で番組の人気に貢献した、芳村真理(よしむら まり)さんですが、
ついに、1988年には、
この辺りで人生の一区切りを付けたい
と、「夜のヒットスタジオ」を降板。
そして、その4年後の1992年には、17年に渡って司会を務めた「料理天国」も降板し、同時に、芸能活動もセミリタイア状態としています。
(その後は、単発のゲスト出演のみ)
光GENJIが降板のきっかけだった
ここで気になるその理由ですが、芳村さんは、あることがきっかけだったと語っています。
それは、「夜のヒットスタジオ」で、アイドルグループ「光GENJI」が初出演した際、メンバーは、芳村さんの楽屋に挨拶に訪れるも、「ちわっ」と軽く挨拶しただけで、楽屋を後にしたそうで、
この時、芳村さんは、
ああ、時代が変わった。もう私の居場所はない
と、感じたのだそうです。
そして、その後も、「光GENJI」に限らず、それまでの芸能界やテレビ業界のルールやしきたりにとらわれない自由なスタンスで周囲に接するスタッフや出演者が増えていったそうで、
芳村さんは、
息子よりも年下の出演者が増えて、私はもういいかなと感じた
と、語っています。
また、芳村さんは、「夜のヒットスタジオ」で、印象的だった出来事について、
1980年代のアイドル歌手が出てきた頃は衝撃的でしたね。「あ、時代が変わった」と思いました。歌っていうものがメッセージになった瞬間で、歌手はメッセンジャーなんだって感じましたね。
歌が上手い下手とか、勉強をどれだけしているかっていうのはまた別次元で、とにかく人を惹きつける、人の心をつかむことの強さを感じました。あの頃からいろんな意味で時代が大きく変わってきたと感じています。
と、語っており、時代が、芳村さんが望む形ではなくなってしまったようです。
芸能界セミリタイヤ後は「MORI MORIネットワーク」を設立
そんな芳村さんは、芸能界セミリタイヤ後の1996年には、森林の育成などをテーマとする「MORI MORIネットワーク」を設立し、環境問題に関する活動や植林啓発活動を意欲的に行い、テレビでの活動は控えていたそうですが、
2014年、定期健診で「動脈瘤(りゅう)」があることが判明し、「残りの人生を大切にしたい」と考えるようになったそうで、
2015年頃からは、テレビ番組のゲストとして、往年のレギュラー番組にまつわる秘話を披露したり、かつて番組で共演していた歌手や司会者と再会するなど、メディアにも度々出演。
2017年2月には、テレビ番組、「歌のゴールデンヒット~オリコン1位の50年間~」で堺正章さんと共に司会を担当、同年4月には、バラエティ番組「爆報! THE フライデー」にスタジオゲストとして出演するなど、元気な姿を見せています。
「歌のゴールデンヒット~オリコン1位の50年間~」より。堺正章さんと芳村さん。